党勢の急伸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 15:21 UTC 版)
1984年のローク・サバー総選挙では2議席にとどまったが、1989年にはラール・クリシュナ・アードヴァーニー総裁の下で一挙に85議席を獲得し躍進、旧ジャナタ党の中道・左派を源流とするジャナタ・ダル主導の連立政権に共産党などと連携して閣外協力。1991年の総選挙でも120議席に前進、1996年総選挙ではついに161議席を獲得して第一党となり、ジャナタ党政権で外相だった党の有力者アタル・ビハーリー・ヴァージペーイーが大統領から組閣を要請され首相に就任。だが、この時は反対勢力の結束・抵抗によってローク・サバーの信任を受けられず、わずか13日の束の間の政権に終わった。
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