ソ連崩壊から独立まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 23:27 UTC 版)
「ロシア・ウクライナ危機 (2021年-2022年)」の記事における「ソ連崩壊から独立まで」の解説
1991年のソビエト連邦の崩壊後も、ウクライナとロシアは緊密な関係を維持し続けた。ウクライナはソビエト連邦軍が保有していた核兵器の一部を引き継ぎ、世界第3位の核保有国になった。1994年、ウクライナは核兵器を放棄することに同意し、ロシア、イギリス、アメリカ合衆国が領土保全または政治的独立に対する脅威または武力行使に対する保証を発行することを条件として、安全保障に関するブダペスト覚書に署名した。5年後、ロシアは欧州安全保障憲章(欧州安全保障協力機構)の署名当事者に加わり、全ての参加当事者のそれぞれが、進展に応じて同盟条約を含む安全保障の合意を選択し、変更する自由があるという固有の権利を持っていることを再確認した。 ウクライナは1991年以来独立国として認められていたが、旧ソビエト連邦構成共和国として、ロシアの指導部から勢力圏の一部であると認識されていた。ルーマニアのアナリスト、Iulian Chifu(ルーマニア語版)らは、2009年に、ウクライナに関して、ロシアはブレジネフ教義の更新版を追求し、それは1980年代後半から1990年代初頭にかけてのソビエトの勢力圏の崩壊以前のワルシャワ条約機構に加盟していた国々の主権程度にしかウクライナの主権を認めないものだと述べた。
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