ソ連外相
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 06:30 UTC 版)
「エドゥアルド・シェワルナゼ」の記事における「ソ連外相」の解説
1985年3月ゴルバチョフ書記長が誕生すると、シェワルナゼは、7月に共産党中央委員会政治局員に抜擢される。更に内外の耳目を集めたのが、長年にわたって外務大臣を務めソ連外交の牽引役であったアンドレイ・グロムイコが最高会議幹部会議長に転出したことに伴う後継の外相に就任したことである。当初、外交に関連した経歴を全く持たないことから、その手腕は未知数であったが、ゴルバチョフの新思考外交推進役として、アレクサンドル・ヤコブレフとともに、ゴルバチョフのペレストロイカにおける片腕と目されるようになった。しかし、ゴルバチョフが保守派・改革派の権力闘争の過程で、急速に右転回していくとシェワルナゼも批判に晒されるようになる。ゴルバチョフは大統領制を導入し権力基盤の強化を目論むが、当初、副大統領候補として念頭に置いたのはシェワルナゼであった。しかし、1990年12月に「独裁が近づいている」と危機を訴え、電撃的に外相を辞任した。なお、1986年1月15日から4日間、日ソ外相定期協議のためにソ連外相としては10年ぶりに来日している。
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