ヴャチェスラフ・モロトフ
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ヴャチェスラフ・ミハイロヴィチ・モロトフ(ロシア語: Вячесла́в Миха́йлович Мо́лотов、ラテン文字表記の例:Vyacheslav Mikhailovich Molotov、1890年3月9日(ユリウス暦では2月25日) - 1986年11月8日[1])は、ソビエト連邦の政治家、革命家。人民委員会議議長(首相)、外務人民委員、外務大臣(外相)を歴任した。第二次世界大戦前後の時代を通じてヨシフ・スターリンの片腕としてソビエト連邦の外交を主導した。
- ^ 『モロトフ』 - コトバンク
- ^ かつてはアレクサンドル・パルヴスも偽名として用いていた。
- ^ a b c d e 下斗米伸夫『ソ連=党が所有した国家 1917-1991』講談社選書メチエ(2002年) ISBN 978-4-06-258248-3
- ^ ソ連、連盟の調停を拒否(『東京日日新聞』昭和14年12月14日夕刊)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p383 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- ^ 連盟総会、ソ連除名を決議(『東京朝日新聞』昭和14年12月15日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p383
- ^ ソ連軍、国境全線で攻撃開始(『東京日日新聞』昭和14年12月1日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p382
- ^ a b ワレンチン・M・ベレズホフ『私は、スターリンの通訳だった』、63頁 (栗山洋児訳、同朋舎出版、1995年)。ベレズホフはモロトフの通訳としてその場にいた。
- ^ ただし、孫のニコノフや下斗米伸夫は否定的に見ている。
- ^ 同じく古参幹部であったカガノーヴィチはジャーナリストの作文ではないかとしている。
- ^ ベレズホフ『私は、スターリンの通訳だった』255頁
- ^ a b ベレズホフ『私は、スターリンの通訳だった』241頁
- ^ ベレズホフ『私は、スターリンの通訳だった』244頁
- ^ 中沢新一「レーニン礼賛」の驚くべき虚構 岩上安身公式サイト「WEB IWAKAMI」に掲載。『諸君!』1997年1月号掲載
- ^ 下斗米伸夫『ソ連=党が所有した国家 1917-1991』118P。歴史家アレクセイ・キリチェンコの説であるが、下斗米は疑問があるとしている。
- 1 ヴャチェスラフ・モロトフとは
- 2 ヴャチェスラフ・モロトフの概要
- 3 概要
- 4 日本との関係
固有名詞の分類
ソビエト連邦の政治家 | アレクサンドル・クラスノシチョーコフ ゲンナジー・ジュガーノフ ヴャチェスラフ・モロトフ ドミトリー・シェピーロフ ヴィクトル・ズブコフ |
ロシア・ソビエト連邦の外交官 | ニコライ・レプニン アレクサンドル・イズヴォリスキー ヴャチェスラフ・モロトフ ドミトリー・シェピーロフ マクシム・リトヴィノフ |
ロシアの首相 | ニキータ・フルシチョフ アレクサンドル・トレポフ ヴャチェスラフ・モロトフ ヴィクトル・ズブコフ セルゲイ・ヴィッテ |
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