ヴャチェスラフ・ヤロスラヴィチとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ヴャチェスラフ・ヤロスラヴィチの意味・解説 

ヴャチェスラフ・ヤロスラヴィチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 08:57 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ヴャチェスラフ・ヤロスラヴィチ
Вячеслав Ярославич
スモレンスク公
ヴャチェスラフのシール
在位 1054年 - 1057年?

出生 1036年?
死去 1057年?
配偶者 オダ・フォン・シュターデ
子女 ボリス
家名 リューリク家
父親 キエフ大公ヤロスラフ1世
母親 インゲゲルド・アヴ・スヴェーリエ
テンプレートを表示

ヴャチェスラフ・ヤロスラヴィチロシア語: Вячеслав Ярославич1036年? - 1057年?[1][注 1])は、キエフ大公ヤロスラフとインゲゲルド(en)(スウェーデン王オーロフの娘)との間の子である、スモレンスク公(在位:1054年 - 1057年?[1])。

生涯

生誕地はおそらく、生涯の大半を過ごしたキエフである。また、幼少期にシュターデ伯レオポルドの娘・オダ(ru)との結婚が決められた。1054年の父の死後、スモレンスク公国を得た[3]。しかし、おそらくその三年後に死亡し[4]、まだ幼いボリス(ru)が後に遺された[注 2]。スモレンスク公位は兄弟のイーゴリが継いだ。

出典

注釈

  1. ^ 誕生年は、『ニコン年代記』によれば1033年、『イパーチー年代記』によれば1036年となる[2]。また、タチーシチェフ(ru)は1034年生・1056年没としている。
  2. ^ ポーランド王ボレスワフ2世の妻となったヴィシェスラヴァも、ヴャチェスラフの娘とする説もある。

脚注

  1. ^ a b Портрет (уявний) В’ячеслав Ярославич
  2. ^ 國本哲男 『ロシア原初年代記』172頁
  3. ^ 國本哲男 『ロシア原初年代記』184頁
  4. ^ 國本哲男 『ロシア原初年代記』186頁

参考文献

先代:
スモレンスク公
1054年 - 1057年?
次代:
イーゴリ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ヴャチェスラフ・ヤロスラヴィチ」の関連用語

ヴャチェスラフ・ヤロスラヴィチのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ヴャチェスラフ・ヤロスラヴィチのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのヴャチェスラフ・ヤロスラヴィチ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS