ヴィシェスラヴァ・スヴャトスラヴナ
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ヴィシェスラヴァ・スヴャトスラヴナ(スヴャトスラヴォヴナ)(ロシア語: Вышеслава Святославна(Святославовна)、ポーランド語: Wyszesława Światosławówna、1047年頃[1] - 1089年以降)はリューリク朝出身の公女であり、ポーランド王(結婚時はポーランド公)ボレスワフ2世の妻となった人物である。
注釈
- ^ 「グストィニャ年代記」はロシア語: Густынская летопись(名詞形Густыняの転写による。ただし「Густыня」は現ウクライナ・Густиня(フストィニャ(ru))にあたる。
- ^ 「Marcin Kromer」はポーランド語表記による。
- ^ 「ヨハン・ヒュプナー」はドイツ語: Johann Hübnerによる。出生地は現ポーランドのBogatynia(ru)。
- ^ 「ヴィスラフ」はロシア語: Выслава(生格)に基づく転写による。
- ^ なお、帝政ロシア期のミハイル・ロモノーソフは、これを「ヴャチェスラフ」であると訂正している。
- ^ 「恥ずかしがり屋」はロシア語: девицей красной(造格)の慣用表現的訳[3]。直訳では真紅(ロシア語の「赤」には美しい・高貴のニュアンスを含む場合がある)の乙女(処女)。
出典
- ^ Genealogía, Reyes y Reinos by Nicolas Homar
- ^ Huebner J.: Genealogische Tabellen, nebst denen darzu gehoerigen genealogischen Fragen, zur Erlaeutering der politischen Historie. Th. 1-3. — Leipzig , 1725-1728.
- ^ 『コンサイス露和辞典』p188
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- 2 ヴィシェスラヴァ・スヴャトスラヴナの概要
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