冬戦争とは? わかりやすく解説

冬戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/29 05:45 UTC 版)

冬戦争(ふゆせんそう、フィンランド語: talvisota)は、第二次世界大戦の勃発から3か月目にあたる1939年11月30日に、ソビエト連邦フィンランド侵攻した戦争である。フィンランドはこの侵略に抵抗し、多くの犠牲を出しながらも、独立を守ったが、モスクワ講和条約により領土の一部が割譲された。






「冬戦争」の続きの解説一覧

冬戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 09:16 UTC 版)

ヴァイナモイネン (海防戦艦)」の記事における「冬戦争」の解説

冬戦争中はイルマリネン級2隻ともオーランド諸島での防衛任務就いた12月迎え、氷が厚くなり始めるとトゥルク移動し高角砲などで防衛行った

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冬戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/06 07:05 UTC 版)

マンネルハイム線」の記事における「冬戦争」の解説

冬戦争の際、マンネルハイム線激し戦場となり、当初フィンランド全土占領するつもりだったソ連軍冬季厳しい環境フィンランド軍決死防衛のため、この線上で2ヶ月に亘り足止めされた。フィンランド軍国民対し強固な対ソ防衛線があると信じさせるため、ソ連軍フィンランドへの進撃止まってしまっている理由説明するため、それぞれマンネルハイム線の強力さを宣伝したこのため実際にトーチカ小さく大砲もわずかしかなく、ただの塹壕地形使った障害物大半占めるにもかかわらず、「重武装したマンネルハイム線」という伝説流布するようになった。 冬戦争の後、マンネルハイム線上の構造物ソ連軍工兵により破壊された。その後継続戦争では両軍ともこの線上戦っているが、もはや両軍とも防衛線を再建することはなかった。

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冬戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 05:47 UTC 版)

赤軍」の記事における「冬戦争」の解説

ソ連領土要求に対して唯一軍事的に反抗したのがフィンランドだった。ソ連政府カレリア地峡、コイビスト島、ホグランド島などフィンランド政府領土割譲迫った1939年10月から同年11月にかけて実施され交渉失敗に終わると、レニングラード軍管区所属各軍フィンランドへの侵攻開始したソ連側フィンランド抵抗侮り戦線編成実施され準備不足のまま戦争突入した主力第7軍カリレア地峡マンネルヘイム線突破し第8軍ラドガ湖方面から、第9軍ラーテ方面から、第14軍ラップランド地方から進撃する予定だった。第7軍マンネルヘイム線突破のため、5個狙撃師団と2個戦車旅団第1梯団とし、3個狙撃師団第2梯団、1個戦車軍団と1個狙撃師団予備とした。一方フィンランド軍マンネルヘイム線に6個師団配置戦力赤軍半分に満たなかった。しかし、マンネルヘイム線コンクリートトーチカ砲台地雷原鉄条網覆われ河川森林沼沢地帯と連結した非常に堅固な要塞線だった。12月12日ソ連第7軍総攻撃開始したが、ひたすら同じ地点攻撃繰り返し、諸兵科連携機能せず、各部隊バラバラ戦った航空支援準備砲撃全ての陣地にまばらに実施され目標特定されなかった。戦車部隊集結が間に合わずフィンランド軍対戦車部隊狙い撃ちにされ次々と破壊された。第7軍12月下旬攻撃夜襲切り替えたが、フィンランド軍サーチライト暗闇照らして応戦し結局マンネルヘイム線突破断念するしかなかった。ラーテ街道進撃した第9軍も第163狙撃師団と第44機械化師団敵中孤立フィンランド軍モッティ戦術により細切れ分断され、2個師団事実上全滅した全ての攻勢失敗した赤軍指揮系統戦術再編乗り出す各軍統率する北西戦線司令部設立され内戦期英雄セミョーン・チモシェンコ司令官に就任第7軍には2個軍団増援として送られ新設され第13軍総攻撃支援徹することになった機械化戦の権威ドミトリー・パヴロフ狙撃軍団騎兵軍団戦車旅団それぞれ一個合わせた特別機集団編成、この集団氷上から迂回突破する主戦力とした。また要塞攻略用に、狙撃中隊機関銃中隊工兵砲兵装甲車両加えた別集団が多数編成され支援砲兵部隊火力集積特定目標への集中砲撃戦訓練施された。十分な戦力整えた赤軍は、1940年2月攻勢再開した突撃集団準備砲撃弾幕隠れながら接近し正面攻撃避け迂回してトーチカ砲台制圧した支援砲撃大幅に改善され特定地点十分な打撃与え突撃支援した2日半の激戦の末、第50狙撃軍団スムマ地区第一防衛線を突破、3個戦車旅団突破口から戦線拡大しフィンランド軍第二防衛線への後退余儀なくされた。第二防衛線も赤軍4日突破パヴロフ特別機集団凍結したラドガ湖経由してヴィープリ占領した。すでに後方陣地まで赤軍浸透しており、マンネルヘイム線突破時間の問題だった。フィンランド政府講和応じソ連要求した上の領土得たが、その代償大きかった5万人近戦死者158000人の負傷者出し世界有数軍事力有するソ連威信失墜することになる。

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冬戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 17:44 UTC 版)

義勇兵」の記事における「冬戦争」の解説

詳細は「冬戦争」を参照 フィンランド・ソビエト連邦間で発生した冬戦争(1939年)では、フィンランド側に多く義勇兵参加した。特にスウェーデン正規軍派遣要請拒絶しながらも、多く義勇兵送り出し中には名目的な義勇軍としての正規軍将兵含まれていた。

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冬戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 08:30 UTC 版)

シモ・ヘイヘ」の記事における「冬戦争」の解説

1939年から1940年にかけて起こった冬戦争では、予備役兵長として招集されフィンランド国防陸軍歩兵第12師団34連隊第6中隊通称カワウ中隊)に配属され故郷の町に近いコッラー川の周辺での防衛任務就いた。 同第6中隊指揮官は、フランス外国人部隊勤務経験持ちモロッコ恐怖」と綽名されたアールネ・ユーティライネン中尉ユーティライネン中尉は、民間防衛隊での射撃成績等から判断しヘイヘ特定の小隊配属せず、最も能力有効に発揮できる狙撃兵任務与えた平均気温-20から-40という酷寒の中で、純白のスノースーツに身を包んで狙撃行った。その戦果から、狙われる側の赤軍兵士ヘイヘを“白い死神”という意味のБелая Смерть(ベーラヤ・スメルチ)や“災いなす者”などのあだ名呼んでいたとされる

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冬戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/18 15:43 UTC 版)

パーヴォ・タルヴェラ」の記事における「冬戦争」の解説

1939年中盤国防省軍事経済局長補、兵器会議参謀長として軍務復帰。冬戦争勃発後、1939年12月8日独立作戦群(7個大隊)を指揮しヴォルデマル・ハッグルンド将軍第4軍団北部側面援護委任された。12月12日ソ連139師団逆襲をかけ、これを包囲殲滅した。その後援軍かけつけたソ連75師団撃破した10日間で600人を捕虜にし、戦車60両、火砲31門、機関銃220挺を鹵獲し、自軍損害25%だった。1940年2月19日カレリア地峡行動する第3軍団長に任命ソ連第13軍攻勢良く持ちこたえ、終戦までケクスゴルムへの突破を許さなかった。

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冬戦争(フィンランド)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 14:32 UTC 版)

森林戦」の記事における「冬戦争(フィンランド)」の解説

1939年11月30日から開始された冬戦争は、森林戦冬季戦の要素絡んだため、気温地形天候などあらゆる面でソビエト連邦作戦行動阻害した地形は、森林での移動戦闘時機動大きく影響する多く植物群が自生する地域隊形組んで移動しようとすると、隊形乱れたり、奇襲攻撃にあった際に速やかな指揮がとれなくなる。また、多く植物によって偽装施しやすく、伏撃適した環境多くある。特にソビエトは、鈍重な車両投入したため、道路使用せざるをえなかった。そのため、森林戦理解のあったフィンランドによって容易に待ち伏せされた。 射撃をする際においても、多く樹木の幹や障害物となり、弾道不安定になったり、敵を見失うことになる可能性があり、攻撃しにくいため森林地域伏撃受けた場合反撃は非常に困難である。実際ソビエト挟撃似た包囲戦術翻弄され多大な被害をだした。

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冬戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 15:45 UTC 版)

フィンランド空軍」の記事における「冬戦争」の解説

1939年11月30日、冬戦争が勃発5000機もの航空機保有するソ連空軍700機の戦闘機800機の爆撃機フィンランド前線投入した対すフィンランド空軍はわずか17機の爆撃機31機の戦闘機、そして54機の連絡機保有するにすぎなかった。フィンランド空軍最新鋭航空機は、国内ライセンス生産されていたブリストル ブレニム爆撃機フォッカー D.XXI戦闘機であった。これらの航空機をもってしても数値上勝算はほぼ不可といえる地上での攻撃を防ぐべく、フィンランド軍は各航空機各地分散させ、中に隠した結果飛行場被害最小限とどめられ逆にソ連航空機をも鹵獲した。 戦争が長引くにつれ、フィンランド使える航空機ならばとにかく何でもかき集める姿勢出たさすがにこれは軍の統計混乱きたしたため、戦後機種ある程度統一化するようになったまた、世界各国フィンランドへの支援行ったアメリカ、イギリスチェコスロバキアオランダフランスドイツイタリアスウェーデン南アフリカデンマークより航空機贈られた。これらの多く到着する前に終戦迎えてしまったが、のちの継続戦争大きな貢献を果たすこととなる。

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冬戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 04:25 UTC 版)

フィンランド陸軍」の記事における「冬戦争」の解説

詳細は「冬戦争」を参照 冬戦争勃発時、フィンランド陸軍では4つ旅団9つ師団中心にいくつかの独立大隊中隊組織された。これらは3つの軍団分けられそのうち第2軍団英語版)と第3軍団英語版)は後にカレリア地峡移動しカレリア地峡軍(英語版)を構成最前線ソビエトとの激戦交わしたまた、ラドガ湖防衛には 第4軍団英語版)が組織され充てられている。 さらにペツァモ(英語版)から北極海にかけての防衛には、少数独立大隊中心に構成された北フィンランド集団英語版)が赴いている。 フィンランド陸軍上記の他にも9つ大隊から成る予備旅団構成していたが、ソビエトとの戦闘激化したためにこれらの予備部隊も後に実戦投入された。また、予備役からなる師団いくつか組織されていたが、戦況悪化に伴い第1予備師団第21師団フィンランド語版)として、第3予備師団第23師団フィンランド語版)として12月19日から前線送られた。また、第2予備師団は北フィンランド展開された。

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冬戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 22:03 UTC 版)

フィンランド海軍」の記事における「冬戦争」の解説

詳細は「冬戦争」および「en:Naval warfare in the Winter War」を参照en:Finnish Ladoga Naval Detachment」も参照 冬戦争が勃発したとき、フィンランド海軍非武装オーランド諸島占領し商船保護するために動いた戦争最初一ヶ月の間に、ソ連艦隊フィンランド沿岸部隊はハンコウト、コイヴィストで戦ったソ連戦艦ハンコおよびコイヴィストで沿岸部隊の攻撃により損害を受け、戦線離脱余儀なくされた。ソ連主力艦沈めるために潜水艦(VesikkoとSaukko)を使用するフィンランド努力失敗した1939年12月には氷が厚くなったが、唯一の砕氷艦はまだ動くことができた。 2隻の海防戦艦は、都市防空強化するためにトゥルクの港に移動して使用され戦争の期間中そこに残った

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