ワレリアン・フロロフとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ワレリアン・フロロフの意味・解説 

ワレリアン・フロロフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/08 05:21 UTC 版)

ワレリアン・アレクサンドロヴィッチ・フロロフロシア語: Валериан Александрович Фролов1895年5月26日6月7日) - 1961年1月6日)は、ソビエト連邦軍人。大将。

経歴

ペテルブルク出身。1915年からロシア帝国軍に入隊し、第一次世界大戦時、先任下士官として小隊を指揮した。

1918年から赤軍。1919年から共産党員。ロシア内戦時、プスコフ、ペトログラード郊外で白軍、ポーランド軍と戦い、小隊、中隊、大隊を指揮した。1920年~1928年、中隊長、連隊学校長、大隊長を歴任。1924年、「ヴィストレル」課程を修了。1929年、V.I.レーニン名称軍事政治アカデミー附属指揮官・統一指揮党・政治訓練課程を修了。1932年、M.V.フルンゼ名称軍事アカデミーロシア語版英語版を卒業。1932年から、狙撃連隊長、レニングラード防空局長補佐、第54軍狙撃師団参謀長、第16狙撃師団長、第1狙撃軍団長を歴任。1939年、第14軍司令官となり、ソ・フィン戦争に参加し、同職で独ソ戦を迎えた。

1941年8月、カレリア戦線副司令官、1941年9月~1944年2月、同戦線司令官。フロロフ指揮下の戦線部隊は、極圏における敵の攻勢を破砕し、防勢転移せしめた。1944年2月~11月、カレリア戦線副司令官。

1944年~1948年と1951年~1956年、白海軍管区司令官。1949年、参謀本部軍事アカデミー附属高等学術課程を修了。1949年~1951年、アルハンゲリスク軍管区司令官。1956年、予備役編入。第2期、第4期ソ連最高会議代議員。

表彰・受勲

レーニン勲章3個、赤旗勲章4個、一等クトゥーゾフ勲章、一等ボグダン・フメリニツキー勲章、赤星勲章を受章。




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ワレリアン・フロロフ」の関連用語

ワレリアン・フロロフのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ワレリアン・フロロフのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのワレリアン・フロロフ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS