松岡洋右とは? わかりやすく解説

まつおか‐ようすけ〔まつをかヤウすけ〕【松岡洋右】


松岡洋右 まつおか ようすけ

松岡洋右の肖像 その1
松岡洋右の肖像 その2
松岡洋右の肖像 その3

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松岡洋右

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/06 02:29 UTC 版)

松岡 洋右(まつおか ようすけ、1880年明治13年)3月4日 - 1946年昭和21年)6月27日)は、日本外交官政治家


注釈

  1. ^ 大木毅によれば、松岡の演説に対して「欧米諸国の代表は、あるいは憤り、あるいは自らを救世主にたとえるとは沙汰のかぎりと嗤った」という[14]
  2. ^ 1933年4月12日サンフランシスコにて放送された全米向けNBCラジオ演説が「SAYONARA SPEECH」として記載され、この演説の場合は「I say it to you ─SAYONARA」(皆さんに申し上げる―サヨナラ)とラストを締め括っている。
  3. ^ a b c 当時の読売新聞朝刊・東京朝日新聞の1面は全面広告である。
  4. ^ 進経太は進十六の長男[88][89]。箕作元八の妻・みつは進十六の三女で進経太の妹にあたる[89]

出典

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  47. ^ 昭和16年(1941年)4月30日 松岡外務大臣、野村大使に対し「日米諒解案」の英文送付を要請 - 公文書に見る日米交渉
  48. ^ 昭和16年(1941年)5月3日 松岡外務大臣、野村大使に対し「オーラル・ステートメント」と「日米中立条約」申し入れを訓令 - 公文書に見る日米交渉
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  50. ^ 昭和16年(1941年)5月22日第25回大本営政府連絡懇談会(議題:蘭領インドシナ交渉、対米国交調整その後の状況、国民政府承認) - 公文書に見る日米交渉
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松岡洋右

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 07:01 UTC 版)

劇画ヒットラー」の記事における「松岡洋右」の解説

近衛内閣外相日独伊三国同盟日ソ中立条約締結

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松岡洋右

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虹色のトロツキー」の記事における「松岡洋右」の解説

物語当時満鉄顧問、のち外相作中では強面外交官として登場登場シーン少ないが対米強硬派として描かれている。英米対抗するため、ドイツ・イタリア加えてソ連との提携考えており、そのため石原や辻の対ソ戦争謀略を嫌う。甘粕には「ヒトラー互角に張り合えるが、策を弄しすぎる面がある」と評価されている。

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