大橋忠一とは? わかりやすく解説

大橋忠一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/20 07:27 UTC 版)

大橋 忠一
おおはし ちゅういち
生年月日 (1893-12-08) 1893年12月8日
出生地 日本岐阜県
没年月日 (1975-12-14) 1975年12月14日(82歳没)
出身校 東京帝国大学法科大学英法科卒業
前職 満洲国外交部次長
外務次官
所属政党 自由民主党
称号 正四位
勲二等旭日重光章
法学士(東京帝国大学・旧制)
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大橋 忠一(おおはし ちゅういち、1893年12月8日[1]1975年12月14日)は、日本外交官政治家正四位勲二等。満洲国外交部次長[2]、外務次官、自由民主党所属の衆議院議員(3期)、カンボジア大使を歴任した。

来歴

岐阜県出身[3]旧制第一高等学校を経て、1918年東京帝国大学英法科卒[3]外務省に入り、書記官参事官領事などを務め[3]満洲国国務院外交部次長、満洲国参議府参議、蒙古聯合自治政府最高顧問を歴任した[3]1940年から翌年まで外務次官となり[3]、在職中、日独伊三国同盟が締結される。

戦後は公職追放となり、追放解除後の1952年第25回衆議院議員総選挙に郷里の岐阜1区で無所属で出馬し初当選[4]。以来3期務める。所属会派は無所属倶楽部[5]→同友会[6]→無所属→無所属倶楽部[7]→小会派クラブ[7]自由党[8]→無所属[9]→小会派クラブ[9]日本民主党[10]→自由民主党[11]1958年第28回衆議院議員総選挙で落選し[4]、政界を引退した。落選後は1959年から1961年まで駐カンボジア大使を務めた。

1966年春の叙勲で勲二等旭日重光章受章[12]

1975年12月14日死去、82歳。死没日をもって正五位から正四位に叙される[13]。墓所は多磨霊園

栄典

著書

  • 『太平洋戦争由来記』要書房、1952年 NDLJP:1707148

脚注

  1. ^ 『日本人名大辞典』 講談社
  2. ^ 次官(事務次官)相当。
  3. ^ a b c d e 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』136頁。
  4. ^ a b 『朝日選挙大観』505頁。
  5. ^ 『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』612頁。
  6. ^ 『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』619頁。
  7. ^ a b 『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』623頁。
  8. ^ 『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』636頁。
  9. ^ a b 『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』638頁。
  10. ^ 『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』639頁。
  11. ^ 『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』657頁。
  12. ^ 『官報』号外第48号2頁 昭和41年4月30日号
  13. ^ 『官報』第14696号16-18頁 昭和50年12月27日号
  14. ^ 『官報』第3068号「敍任及辞令・二」1937年3月27日。

参考文献

  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』大蔵省印刷局、1990年。
  • 朝日新聞選挙本部編『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。

関連項目

官職
先代
谷正之
外務次官
1940年
次代
天羽英二

大橋忠一

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杉原千畝」の記事における「大橋忠一」の解説

満洲国外交部時代直属の上司。元衆議院議員。元カンボジア大使著書に『太平洋戦争由来記』など。

※この「大橋忠一」の解説は、「杉原千畝」の解説の一部です。
「大橋忠一」を含む「杉原千畝」の記事については、「杉原千畝」の概要を参照ください。

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