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吉岡範武

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/26 06:22 UTC 版)

吉岡 範武(よしおか のりたけ、1899年10月15日[1] - 1969年7月15日)は、日本外交官。初代駐カンボジア特命全権大使

人物・経歴

熊本県熊本市出身[1]。府立第四中学校(現東京都立戸山高等学校)、第三高等学校を経て[2]、1923年東京帝国大学法学部政治学科卒業[3]。1936年在中華民国大使館二等書記官[4]。1940年外務省調査部第六課長[5]。1945年在フランス大使館参事官[6]

同年から外務大臣官房儀典課長事務取扱を務め[7]帝国ホテル犬丸徹三と相談し、連合国軍占領下の日本における連合軍将官宿舎の選定を進めた[8]

1946年終戦連絡京都事務局長[9]。1948年京都連絡調整事務局長[10]。1953年外務省参与[11]。1954年駐カンボディア特命全権公使[12]。1955年駐カンボディア特命全権大使[13]。1959年駐ヴァチカン特命全権大使[14]。1969年従三位勲二等旭日重光章正三位[15][16]

親族

妻・田鶴子は青木梅三郎子爵青木周蔵外務大臣の養子)の長女[17]。父は吉岡範策(元海軍中将)。原範行(原家に入りホテルニューグランド社長や日本ホテル協会会長を歴任)は二男[18][19]

出典

  1. ^ a b 『大衆人事録 第22版 東京篇』帝国秘密探偵社、1962年、p.851。
  2. ^ 第三高等学校一覧 大正7年9月起大正8年8月止
  3. ^ 東京帝国大学卒業生氏名録
  4. ^ 官報 1936年12月28日
  5. ^ 官報 1940年12月10日
  6. ^ 官報 1945年01月11日
  7. ^ 官報 1945年01月12日
  8. ^ 犬丸徹三 (一業一人伝) 図書 阪口昭 著 時事通信社, 1964
  9. ^ 官報 1946年03月05日
  10. ^ 官報昭和23年本紙第6332号 144頁
  11. ^ 官報昭和28年本紙第8076号 56頁
  12. ^ 官報昭和29年本紙第8149号 73頁
  13. ^ 官報昭和30年本紙第8456号 194頁
  14. ^ 官報昭和34年本紙第9798号 418頁
  15. ^ 官報昭和44年本紙第12778号 17頁
  16. ^ 官報昭和44年本紙第12779号 21頁
  17. ^ 吉岡範策 (第8版 [昭和3(1928)年7月 の情報)]日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース
  18. ^ 日外アソシエーツ『熊本県人物・人材情報リスト、2007』
  19. ^ 新井恵美子『原三渓物語』284頁
先代
秋山理敏
終戦連絡京都事務局長
1946年 - 1948年
次代
武内龍次



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