下村信貞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 00:05 UTC 版)
旧制第五高等学校(熊本)に入学し、東大法科卒後、満鉄入社。大連工業専門学校教授等を経て、大橋忠一が千畝と同時にハルビンから帯同。満洲国外交部総務司計画科に薦任五等官として着任。ノモンハン事件の収拾に尽力。終戦時、外交部次長の要職にあったため、ソ連軍に連行され、ハバロフスク収容所に収監され同地で没する。
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