古海忠之とは? わかりやすく解説

古海忠之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/21 07:59 UTC 版)

古海 忠之(ふるみ ただゆき、1900年5月5日 - 1983年8月23日)は、日本の大蔵官僚満洲国官僚、実業家東京府出身。義兄に小金義照。長男は古海建一(国際善隣協会理事長、元東京銀行常務、元ユアサ商事会長)。勲二等瑞宝章(1971年)。


  1. ^ a b 古海忠之『忘れ得ぬ満州国』経済往来社、1978年
  2. ^ 千賀基文『阿片王一代 - 中国阿片市場の帝王・里見甫の生涯 -』(光人社、2007年) P174、P156
  3. ^ 古海忠之『忘れ得ぬ満州国』 阿片の章
  4. ^ この古海の態度の背景として、1936年9月、植田謙吉大将(関東軍司令官)名で、「満洲帝国協和会の根本精神」なる声明がパンフレットとして、石原莞爾信奉者の一人とされた辻政信大尉(関東軍参謀)の筆により出された。法令により直接に規定する根拠がないのに協和会を共産党のように政府をも指導する機関と規定し、のみならず関東軍司令官を“哲人”と書き、大問題となった。これに抗議して当時の総務庁長 大達茂雄も辞任し、関東軍もパンフレットを必死に回収した騒動があった。古海忠之『忘れ得ぬ満州国』、p.147
  5. ^ 角田房子『甘粕大尉』(中央公論社、1975年)p.224~
  6. ^ 古海忠之『忘れ得ぬ満州国』、p.154~p.159
  7. ^ 角田房子『甘粕大尉』、p.291~
  8. ^ 古海忠之『忘れ得ぬ満州国』、p.213~p.214
  9. ^ a b これについて古海は、「中共から帰った日本人は <中略> 洗脳された者も少なくない。<中略> 中共の戦術は良く考えられ、細かいところまで行き届いている。」と後年述べている。古海忠之『忘れ得ぬ満州国』、p.250
  10. ^ 一般社団法人 日中協会 (故人)役員”. 日中協会. 2017年12月3日閲覧。
  11. ^ 『大蔵省人名録―明治・大正・昭和』(大蔵省百年史編集室編,大蔵財務協会,1973年)


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