横井忠雄とは? わかりやすく解説

横井忠雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/21 23:27 UTC 版)

横井よこい 忠雄ただお
生誕 1895年3月6日
日本大分県
死没 (1965-09-10) 1965年9月10日(70歳没)
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1915年 - 1945年
最終階級 海軍少将
テンプレートを表示

横井 忠雄(よこい ただお、1895年明治28年)3月6日 - 1965年昭和40年)9月10日)は、日本海軍軍人。最終階級は海軍少将大分県大分市出身。妻は海軍大将村上格一の実娘。

略歴

旧制東京府立第4中学校より海軍兵学校第43期入校。入校時成績順位は100名中第9位、卒業時成績順位は96名中第5位。海軍大学校は首席卒業。

横井は、1932年から1936年にドイツ駐在経験がある親独派として知られ、軍令部甲部員在職中は日独伊三国軍事同盟賛成の急先鋒であった。しかし1940年からの2度目の在勤では反ナチスとなり、その意識を隠そうともしなかったため、やがてドイツ側から「好ましからぬ人物(ペルソナ・ノン・グラータ。しかし公式のものではない)」としてドイツ外相ヨアヒム・フォン・リッベントロップから大島浩日本大使を通じ、暗に横井の交代を求めるメッセージが届けられ、横井は駐在武官を交代させられた。後任は小島秀雄

1941年からは在フィンランド日本公使館府海軍駐在武官となり、その後伊号第八潜水艦に便乗して帰国した。なお親独で知られた大島とは不仲であり、三国同盟軍事委員として在独中の野村直邦とは大喧嘩を演じている。第二次世界大戦の終戦直前に第6特攻戦隊司令官に就任した。

年譜

脚注

  1. ^ 『官報』1943年12月16日「叙任及辞令」。
  2. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」98頁。

参考文献

関連項目


横井忠雄(海兵43期)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 14:37 UTC 版)

駐在武官」の記事における「横井忠雄(海兵43期)」の解説

1934年昭和9年)~1936年駐独大使館付武官となる。後に海軍少将終戦迎える。

※この「横井忠雄(海兵43期)」の解説は、「駐在武官」の解説の一部です。
「横井忠雄(海兵43期)」を含む「駐在武官」の記事については、「駐在武官」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「横井忠雄」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「横井忠雄」の関連用語

横井忠雄のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



横井忠雄のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの横井忠雄 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの駐在武官 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS