対日盗聴とは? わかりやすく解説

対日盗聴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/16 01:03 UTC 版)

ゲーリング調査局」の記事における「対日盗聴」の解説

1935年1月山本五十六海軍中将が、日英三国ロンドン海軍軍縮予備会議参加のために滞欧していた時、彼をベルリン招き総統アドルフ・ヒトラー会見させる計画ドイツ海軍省から大使館海軍武官横井忠雄中佐打診があった。横井中佐武者小路公共大使相談したところ、同大使はロンドン松平恒雄駐英大使暗号電報でなく、国際電話相談持ちかけた。結論英国刺激するので、日程合わないために要望沿いかねる回答することに決した横井中佐がこの結論伝えるべくドイツ海軍省に出向いた時、用件切り出す前にドイツ側が「山本提督都合悪くて総統会見できないそうですね。残念です」と挨拶したという。不審思い横井中佐武者小路大使問い詰めると、ロンドン松平大使国際電話相談したことを告白した友好国日本大使館国際電話盗聴されていた訳である。大使その後大島浩陸軍武官横井忠雄海軍武官排斥運動の対象となり、同年夏を待たず賜暇帰朝という名目ベルリン離れることになる。山本提督結局ヒトラーとは会見しなかったが、ベルリン訪問して海軍総司令官エーリヒ・レーダー提督とは会見したもう一つ盗聴に関する挿話がある。1941年10月から1945年4月までベルリン日本大使館勤務していた外交官藤山楢一回想記綴っている(< > 内は補足)。 『それにしても <ドイツの> 秘密警察の手口にはゾッとするものがあった。 <1944年のベルリン空襲が激しくなってきた頃> 久しぶり東京の母から <国際> 電話入ったときのことである。母はたいしたことはないが腎臓手術のために入院することになったと言い、「ところであなたの方はどうなの」ときいた。わたしが、「昨晩、物凄い空襲があってね」と答えかけた途端電話プツリ切れた。そしてドイツなまりの日本語で「そういう話をするなら、この電話はつなぎません」という声が入った。私は、「お聞きのとおり病気の母からの電話です。空襲の件は一切話しませんから、もう一度つないで下さい」と懇願した。「今回限りですよ」という声がきこえて電話は何とかつながったそれにしても日本大使館さえ信用せず、その私用電話まで盗聴しているとは秘密警察御苦労なことであったこういう一件もあって電話危なということになった以後日本宛の重要な電話については、鹿児島県出身曾木さんという方が引き受けることになった東京本省用意した同じく鹿児島出身の人と完全な鹿児島弁用件伝えあうのである。この新手の“暗号”による会話だけは、ドイツ側も“解読”できなかったと戦後になって教えられた。』

※この「対日盗聴」の解説は、「ゲーリング調査局」の解説の一部です。
「対日盗聴」を含む「ゲーリング調査局」の記事については、「ゲーリング調査局」の概要を参照ください。

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