横井忠道とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 横井忠道の意味・解説 

横井忠道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/29 14:28 UTC 版)

横井 忠道
生誕 1893年4月19日
日本 東京府
死没 (1961-11-18) 1961年11月18日(68歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1913年 - 1945年
最終階級 陸軍少将
テンプレートを表示

横井 忠道(よこい ただみち、1893年明治26年)4月19日[1] - 1961年昭和36年)11月18日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。

経歴

1893年(明治26年)に東京府で生まれた[1]陸軍士官学校第25期卒業[1]1938年(昭和13年)4月にハイラル特務機関長に就任し[2]1939年(昭和14年)3月9日陸軍歩兵大佐に進級[2]11月27日に留守第11師団司令部附となり[2]1940年(昭和15年)6月に近衛歩兵第3連隊補充隊長に就任した[2]1942年(昭和17年)4月に歩兵第109連隊長(第13軍第116師団・歩兵第20旅団)に就任し[1][2]日中戦争に出動[1]安慶に駐屯して同地の守備に就いた[1]。その後留守近衛第2師団司令部附を経て、1943年(昭和18年)6月28日高知連隊区司令官に就任した[3]

1945年(昭和20年)3月31日に高知地区司令部部員となり[4]5月23日に編制された独立混成第121旅団[5]第2総軍第15方面軍第55軍)の旅団長に6月1日に就任し[1]6月10日に陸軍少将に進級した[2]。同旅団は徳島県勝浦本土決戦に備え[5]、終戦を迎えた[1]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[6]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i 福川 2001, 783頁.
  2. ^ a b c d e f 外山 1981, 344頁.
  3. ^ 第119号 昭和18年6月30日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120893200 
  4. ^ 第74号 昭和20年3月31日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120937900 
  5. ^ a b 藤井 2020, 186頁.
  6. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」194頁。

参考文献

  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 
  • 藤井非三四 著『知られざる兵団 帝国陸軍独立混成旅団史』国書刊行会、2020年。ISBN 4336065977 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  横井忠道のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「横井忠道」の関連用語

横井忠道のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



横井忠道のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの横井忠道 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS