近衛歩兵第3連隊とは? わかりやすく解説

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近衛歩兵第3連隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/17 07:38 UTC 版)

近衛歩兵第3連隊
創設 1885年
廃止 1945年
所属政体 日本
所属組織  大日本帝国陸軍
編制単位 連隊
兵科 歩兵
所在地 東京府東京市赤坂区
東京都赤坂区(現・港区
編成地 東京府東京市赤坂区
通称号/略称 宮3802
上級単位 近衛 - 近衛師団 - 近衛第2師団
最終位置 スマトラ島ビリューエン
(現・ インドネシアアチェ州
戦歴 日清戦争
乙未戦争台湾進駐
日露戦争
遼陽会戦奉天会戦
日中戦争
広東作戦南寧作戦
大東亜戦争第二次世界大戦
シンガポールの戦いアンダマン・ニコバル進出
特記事項 二・二六事件[反乱兵鎮圧]
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近衛歩兵第3連隊(このえほへいだい3れんたい、近衛歩兵第三聯隊)は、大日本帝国陸軍連隊のひとつ。

近衛歩兵第三連隊営門
近衛歩兵第三連隊兵舎

沿革

7月10日 - 第1と第2大隊が編成完結。
10月27日 - 日比谷練兵所(現・日比谷公園)にて軍旗拝受。
6月 - 動員下令、漢口作戦や広東作戦に参加する。
広東省中山県に駐留中に匹編制から自動車編制に変わる、自動車約80台と自転車3000台から成る。
1月 - 仏印サイゴンに駐屯、第3大隊を基幹にシンガポールの戦いに参加する。
3月3日 - シンガポールから北部スマトラ島の平定作戦を開始。
8月15日 - 終戦。本連隊はオランダ陸軍に降伏するように指示される。
9月12日 - スマトラ島ビルーン(現・インドネシア共和国アチェ州ビルン県)にて軍旗を奉焼し、本連隊は終焉した。

歴代連隊長

歴代の連隊長
(特記ない限り陸軍大佐
氏名 在任期間 備考
1 立見尚文 1885.5.26 - 1889.3.12 中佐、1887.11大佐
2 大島久直 1889.3.12 - 1890.6.13
3 伊瀬知好成 1890.6.13 -
4 中岡祐保 1894.7.31 - 1895.9.4 死去
5 伊崎良煕 1895.9.16 - 1896.9.25 中佐
6 福島庸智 1896.9.25 -
7 神尾光臣 1897.10.11 - 1899.2.7
8 吉田清一 1899.2.7 - 1901.11.3
9 小原芳次郎 1901.11.3 - 1904.10.13
10 志波今朝一 1904.10.23 - 1905.4.9 中佐
11 柳下重勝 1905.5.9 - 中佐
12 橋本勝太郎 1906.2.10 - 1907.11.13 中佐、1906.12.大佐
13 山田隆一 1907.11.13 - 1909.8.1
14 柴勝三郎 1909.8.1 - 1910.11.30
15 竹内武 1910.11.30 - 1912.2.18
16 蟻川五郎作 1912.2.18 - 1913.2.24
17 児島惣次郎 1913.2.24 - 1914.8.8
18 中屋則哲 1914.8.10 - 1915.8.10
19 大内義一 1915.8.10 - 1917.8.6
20 井戸川辰三 1917.8.6 -
21 村井多吉郎 1918.7.24 -
22 寺内寿一 1919.7.25 - 後第24代陸軍大臣元帥
23 水町竹三 1922.1.10 -
24 二宮治重 1923.3.17 -
25 清水喜重 1925.5.1 -
26 蜂須賀喜信 1926.12.22 -
27 東久邇宮稔彦王 1928.8.10 - 第43代内閣総理大臣
28 松田国三 1929.12.10 -
29 奥保夫 1932.8.8 -
30 園山光蔵 1935.3.15 - 1936.3.28[1]
31 井上政吉 1936.3.28 -
32 森岡皐 1937.3.1 -
33 飯田泰次郎 1938.3.1 -
34 小林隆 1939.3.9 -
35 生沼吉郎 1940.5.11 -
藤岡政義 1942.8.1 -

跡地

港区赤坂一ツ木町(現・赤坂5丁目)の本営跡は戦後、ラジオ東京(現・TBSホールディングス)がテレビ(KRT)のスタジオおよび送信所用地とすることを目指して取得。1955年(昭和30年)の開局と同時にテレビ電波を発射する送信所も設置された。

1961年(昭和36年)、TBS本館が完成。千代田区有楽町毎日新聞東京本社内(現・新有楽町ビルヂング)にあったラジオの演奏所も赤坂に集約された。以来現在に至るまで、TBSテレビ・ラジオの総本拠として使用される。

1994年(平成6年)、TBS放送センターが完成。赤坂メディアビルは2003年まで使われた後、赤坂Bizタワーが建てられてTBSグループの不動産事業における収益源となっている。

脚注

  1. ^ 『官報』第2770号、昭和11年3月30日。

参考文献

  • 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』(新人物往来社、1990年)
  • 原 剛『明治期国土防衛史』(錦正社、2002年)
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • ノーベル書房編集部編『陸軍郷土歩兵聯隊写真集 わが聯隊』 ノーベル書房、1979年。
  • 官報

関連項目


近衛歩兵第3連隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:22 UTC 版)

二・二六事件」の記事における「近衛歩兵第3連隊」の解説

連隊長は、1936年昭和11年3月28日に、園山光蔵大佐から井上政吉大佐交代園山大佐同年7月10日予備役編入

※この「近衛歩兵第3連隊」の解説は、「二・二六事件」の解説の一部です。
「近衛歩兵第3連隊」を含む「二・二六事件」の記事については、「二・二六事件」の概要を参照ください。

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