兒玉友雄とは? わかりやすく解説

兒玉友雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/06 13:44 UTC 版)

兒玉 友雄(こだま ともお、1881年10月23日 - 1961年5月9日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

本籍山口県児玉源太郎[1]の三男として生れる。学習院中等科を経て、1902年11月、陸軍士官学校(14期)を卒業、翌年6月、歩兵少尉に任官し近衛歩兵第2連隊付となり、1904年2月、日露戦争に出征。1910年11月、陸軍大学校(22期)を卒業した。

参謀本部員兼軍務局課員、近衛師団参謀、参謀本部員などを経て、1914年5月、イギリスに私費留学し、翌年、イギリス軍に従軍した。帰国後、参謀本部員、陸軍省軍務局課員、兼航空部事務官、兵器局課員、軍務局課員(軍事課)、近衛歩兵第3連隊付、歩兵第34連隊長、参謀本部課長などを歴任し、1929年8月、陸軍少将に進級。

歩兵第2旅団長、朝鮮軍参謀長などを経て、1933年8月、陸軍中将となった。下関要塞司令官、第3独立守備隊司令官、第16師団長、西部防衛司令官などを歴任し、1938年7月、予備役に編入された。同年9月、召集を受け台湾軍司令官に就任し、翌年12月、召集解除となった。

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[2]

親族

栄典

脚注

  1. ^ 友雄の出生当時は陸軍歩兵中佐東京鎮台歩兵第2連隊長兼佐倉営所司令官。後に陸軍大将
  2. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」53頁。
  3. ^ 『官報』第3495号「叙任及辞令」1938年8月26日。

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。




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