近衛歩兵第7連隊とは? わかりやすく解説

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近衛歩兵第7連隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/04 02:17 UTC 版)

近衛歩兵第7連隊
創設 1943年6月1日
廃止 1945年
所属政体 日本
所属組織  大日本帝国陸軍
編制単位 連隊
兵科 歩兵
所在地 東京府東京市麻布区
東京都麻布区→
東京都赤坂区
編成地 東京府東京市麻布区
通称号/略称 東部8
上級単位 近衛第1師団
最終上級単位 東部軍管区
最終位置 東京都赤坂区氷川町(現・港区
戦歴 大東亜戦争第二次世界大戦
日本本土の戦い東京大空襲
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近衛歩兵第7連隊(このえほへいだい7れんたい、近衛歩兵第七聯隊)は、大日本帝国陸軍連隊のひとつである。

沿革

6月1日 - 東京府東京市麻布区麻布龍土町(現・港区六本木)の旧歩兵第3連隊兵営に於いて編成、近衛第1師団に編入される。
9月7日 - 軍旗拝受 。
5月25日 - 山手空襲。兵営が焼失。氷川国民学校(現・港区立赤坂小学校)校地に移転。
8月15日 - 終戦

跡地

第3次東京大空襲で焼け出された本連隊は、隣の赤坂区にあった氷川国民学校(港区立氷川小学校を経て現・赤坂小学校)校地に移駐した。

戦後、跡地は赤坂小学校の仮校舎を兼ねた後氷川小学校に復し、1993年平成5年)に赤坂小学校・檜町小学校と統合して閉校するまで使われた。閉校後は区によって建て替えられ、現在は港区立高齢者在宅サービスセンター『サン・サン赤坂』となっている。

歴代連隊長

歴代の連隊長
(特記ない限り陸軍大佐
氏名 在任期間 備考
皆美貞作 1943.6.10 -

参考文献

  • 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』(新人物往来社、1990年)

関連項目




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