児島惣次郎とは? わかりやすく解説

児島惣次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/16 03:43 UTC 版)

児島惣次郎

児島 惣次郎(こじま そうじろう、1870年1月9日明治2年12月8日) - 1922年10月18日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

備前国上道郡八幡村(後の岡山県上道郡宇野村大字八幡、現在の岡山市中区)出身[1][2]。長野六三郎の三男として生まれ、児島滋胤陸軍少尉の養嗣子となる。陸軍幼年学校を経て、1890年7月、陸軍士官学校(1期)を卒業、 1890年(明治23年)7月29日の官報によると、陸軍士官学校第1期歩兵科4番/103名で卒業している。翌年3月、歩兵少尉に任官し歩兵第20連隊付となる。陸軍大学校に入校したが、日清戦争に伴い退学し、歩兵第8旅団副官などとして出征。戦後、陸大に復校し、1898年12月に首席で卒業(12期)した。

参謀本部出仕、参謀本部員、ドイツ駐在、ドイツ公使館付武官補佐官、参謀本部員、兼山縣有朋元帥付副官、参謀本部課長、近衛歩兵第3連隊長などを歴任し、1914年8月、陸軍少将に昇進した。

歩兵第30旅団長、陸軍歩兵学校長、参謀本部第4部長などを経て、1918年7月、陸軍中将となった。朝鮮憲兵隊司令官、兼朝鮮総督府警務総長サガレン州派遣軍司令官、教育総監部本部長などを歴任。1922年5月に陸軍次官となったが、現職で死去した。墓所は多磨霊園(2-1-3-10)。

栄典

位階
勲章

親族

  • 長男 児島義徳(陸軍大佐

脚注

  1. ^ 岡山市史 岡山市史 人物編159頁(岡山市史編集委員会、1968年)
  2. ^ 宇野地区の歴史 : 旧上道郡宇野村史391頁(宇野学区史刊行会、1981年)
  3. ^ 『官報』第2576「叙任及辞令」1892年2月4日。
  4. ^ 『官報』第7701号「叙任及辞令」1909年3月2日。
  5. ^ 『官報』第1825号「叙任及辞令」1918年9月2日。
  6. ^ 『官報』第2434号「叙任及辞令」1920年9月11日。
  7. ^ 『官報』第5820号・付録「辞令」1902年11月26日。
  8. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月8日。
  9. ^ 『官報』第1773号「叙任及辞令」1918年7月1日。

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。




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