岸信介とは?

岸信介

岸信介
総理在職期間
[第1次]昭32. 2.25~昭33. 6.12473
[第2次]昭33. 6.12~昭35. 7.19769
在職通算日数1,241
総理就任時年齢:60歳・61歳

岸信介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/30 08:30 UTC 版)

岸 信介(きし のぶすけ、1896年明治29年〉11月13日 - 1987年昭和62年〉8月7日)は、日本政治家官僚旧姓佐藤(さとう)。




注釈

  1. ^ 他の肩書きを列挙すると、日米協会長、アジア国会議員連合議員団長、日韓協力委員会長、フィリピン協会長、自主憲法期成同盟会長、自主憲法制定国民会議長がある[4]
  2. ^ (財)家族計画国際協力財団の会長を務める。副会長は加藤シヅエ。常任理事は国井長次郎。同財団は1968年4月22日設立。東京都新宿区市ヶ谷砂土原町1-1保健開館別館[5]
  3. ^ 信介が物心ついて、田布施の家で、冬の夜など、兄弟姉妹が炬燵をとり囲んで、雑談などしている時、信介少年は自分だけが山口の八軒家で生まれたということにより、ちょっと仲間はずれになったような感じがしたこともあったという[6]
  4. ^ 吉本重義 1957, p. 54に「中央大学予備校に通い…」とある。
  5. ^ このとき、岸の渡米妨害を目的とした学生集団が羽田空港ロビーを占拠する事件を起こしている[70]
  6. ^ ここで登場した「右翼宗教団体」とは、当時急速に会員を増大させていた創価学会を指しており、岸も創価学会の会長に就任したばかりの池田大作に対し、大阪事件の裁判で無罪を言い渡すという交換条件を示して協力を依頼したが、これは断られたという[74]
  7. ^ 日本の経済が発展したという側面もある[96]
  8. ^ 見送りに来た佐藤寛子に「あとは栄作しかいないんだよ」と語っていた[101]

出典

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