岸信介とは? わかりやすく解説

きし‐のぶすけ【岸信介】


岸信介

岸信介
総理在職期間
第1次昭32. 2.25~昭33. 6.12473
第2次昭33. 6.12~昭35. 7.19769
在職通算日数1,241
総理就任時年齢:60歳・61歳

岸信介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/27 21:06 UTC 版)

岸 信介(きし のぶすけ、1896年明治29年〉11月13日 - 1987年昭和62年〉8月7日)は、日本政治家官僚。1957年から1960年まで内閣総理大臣(第5657代)を務めた。位階勲等正二位大勲位。出生名は佐藤 信介(さとう のぶすけ)。


注釈

  1. ^ 他の肩書きを列挙すると、日米協会長、アジア国会議員連合議員団長、日韓協力委員会長、フィリピン協会長、自主憲法制定国民会議長、自主憲法期成議員同盟会長がある[10]
  2. ^ (財)家族計画国際協力財団の会長を務める。副会長は加藤シヅエ。常任理事は国井長次郎。同財団は1968年4月22日設立。東京都新宿区市ヶ谷砂土原町1-1保健開館別館[11]
  3. ^ 信介が物心ついて、田布施の家で、冬の夜など、兄弟姉妹が炬燵をとり囲んで、雑談などしている時、信介少年は自分だけが山口の八軒家で生まれたということにより、ちょっと仲間はずれになったような感じがしたこともあったという[14]
  4. ^ 吉本重義 1957, p. 54に「中央大学予備校に通い…」とある。
  5. ^ 議院法第76条に基づき、「法律ニ依リ議員タルコトヲ得サル職務ニ任セラレタルトキ」は衆議院議員退職者となることとされていた[41]
  6. ^ 実際に岸は前官礼遇を与えられなかったが[45]、この時点での国務大臣在任期間は3年足らずで、内規に定められた「国務大臣在職4年以上」の基準を満たしていなかった。
  7. ^ マッカーサーは1957年10月18日付けで国務省に送った公電で、岸の個人的人気が高くないことを指摘しつつも、「岸は現時点で、米国の目的から見て、最良のリーダーだ。岸が敗北すれば、後継首相は弱体か非協力的、あるいはその両方だろう。その場合、日本ひいては極東における米国の立場と利害は悪化する」と述べ、岸の支援を本国へ訴えている[64]
  8. ^ 国際政治学者の権容奭は、「ダレスとの会談記録を読むと、主導権を持っていったのはダレスでありアメリカ側だった。岸は内心、苦々しい思いをしたのではないかと推測できる」「アメリカだけ信じていたらダメだ、依存していたらダメだということを強く思ったんじゃないかと思う」と述べ、その後の岸は、アメリカ一本ではなく、イギリスや中国、インドなど、日本独自の外交オプションを広げていったとしている[65]
  9. ^ このとき、岸の渡米妨害を目的とした学生集団が羽田空港ロビーを占拠する事件を起こしている[87]
  10. ^ ここで登場した「右翼宗教団体」とは、当時急速に会員を増大させていた創価学会を指しており、岸も創価学会の会長に就任したばかりの池田大作に対し、大阪事件の裁判で無罪を言い渡すという交換条件を示して協力を依頼したが、これは断られたという[91]
  11. ^ 自衛隊出動については、岸以外にも池田勇人(通産大臣)・佐藤栄作(大蔵大臣)・川島正次郎(自民党幹事長)らが赤城に対して働きかけを行っていた[96]
  12. ^ 日本の経済が発展したという側面もある[130]
  13. ^ 見送りに来た佐藤寛子に「あとは栄作しかいないんだよ」と語っていた[136]
  14. ^ 日本選手権シリーズに関しては、1960年の日本シリーズ第1戦で、この年岸の後任として就任した池田勇人が始球式をおこなった事例がある[194]
  15. ^ 2013年5月5日、東京ドームで開催された巨人対広島の試合前に長嶋茂雄松井秀喜国民栄誉賞授賞式が行われ、授与式終了後の始球式において安倍晋三が球審役を務めている。

出典

  1. ^ 『官報』第5027号、昭和18年10月13日。
  2. ^ Johnson, Chalmers; Schlei, Nobert; Schaller, Michael (2000). “The CIA And Japanese Politics”. Asian Perspective (Johns Hopkins University Press ) 24 (4): 79–103. doi:10.1353/apr.2000.0005. JSTOR 42705308. https://www.jstor.org/stable/42705308. 
  3. ^ Weiner, Tim (2007). Legacy of Ashes: The History of the CIA. Penguin. https://loosemotion.neocities.org/kishi 
  4. ^ a b CIA Records - Name Files”. National Archives. 2022年8月19日閲覧。
  5. ^ 東京山中会の設立 東京山中・山高同窓会
  6. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)
  7. ^ 工藤美代子 2012, pp. 108–111.
  8. ^ a b 「日本はとんでもない間違いをした」岸信介、安倍晋太郎、安倍晋三…3代続く関係性から見える旧統一教会が目指した“国家宗教”【報道特集】”. TBS NEWS DIG. TBSテレビ (2022年9月24日). 2022年11月22日閲覧。
  9. ^ 新訂 政治家人名事典 明治~昭和『岸 信介』 - コトバンク
  10. ^ 堀幸雄 『最新 右翼辞典』 柏書房 2006年11月 P 101-102
  11. ^ 『日本の民間財団と企業寄付-国際交流・協力活動の概況』日本国際交流センター 1985年12月 P.60.
  12. ^ 安倍首相が受け継いだ「家業」―祖父の志を果たせるか”. ウォールストリートジャーナル (2014年12月12日). 2022年7月12日閲覧。
  13. ^ 岸田内閣が発足 新閣僚20人の横顔を紹介”. 読売新聞 (2021年10月5日). 2022年7月12日閲覧。
  14. ^ 吉本重義 1957, pp. 19–20.
  15. ^ a b c 「黙れ兵隊」と一喝 - 古澤襄 杜父魚文庫”. 2007年8月26日閲覧。
  16. ^ 吉本重義 1957, p. 20.
  17. ^ 吉本重義 1957, pp. 18–19.
  18. ^ 山田 『正伝 佐藤栄作』(上) 1988, p. 23.
  19. ^ 学校メモリアル - 岡山市立内山下小学校(沿革)
  20. ^ 岸 信介 / 全国名前辞典
  21. ^ 吉本重義 1957, p. 39.
  22. ^ a b 吉本重義 1957, pp. 54–55.
  23. ^ a b 吉本重義 1957, p. 62.
  24. ^ 原彬久 2003, p. 352-357.
  25. ^ 原彬久 1995, p. 28-29.
  26. ^ 大川周明『北一輝君を憶ふ』
  27. ^ 原彬久 2003, p. 354.
  28. ^ 岩川隆 『巨魁 岸信介研究』, p. 37.
  29. ^ 週刊東洋経済 第5336号』1996年3月9日発行
  30. ^ 吉本重義 1957, p. 70.
  31. ^ 吉本重義 1957, pp. 78–80.
  32. ^ 岸信介の回想 1981, p. 13.
  33. ^ 工藤美代子 2012, pp. 132–133.
  34. ^ 『岸信介ー権勢の政治家ー』岩波新書、1995年、68-69頁。 
  35. ^ 武藤富男 『私と満州国』 文藝春秋(1988年)/ 福田和也 『悪と徳と 岸信介と未完の日本』 産経新聞社 (2012年) より引用
  36. ^ 岸信介の回想 1981.
  37. ^ a b 原彬久 1995.
  38. ^ 原彬久 2003.
  39. ^ a b 大日本帝国議会会議速記録『商工経済会法案(提案理由) 』- Wikisource。
  40. ^ 「敍任及辭令」『官報 號外』、内閣印刷局、1943年10月8日、1頁。 
  41. ^ 「衆議院 議員退職」『官報』第5027号、内閣印刷局、1943年10月13日、305頁。 
  42. ^ a b 福田和也 2012, pp. 228–246.
  43. ^ a b 児島襄 『太平洋戦争』(下) 中公文庫 1974年7月 『フィリピンに決戦をもとめて 詰腹きらされた東条首相』, pp. 220-223.
  44. ^ 工藤美代子 2012, p. 207.
  45. ^ 「敍任及辭令」『官報 號外』、内閣印刷局、1944年7月22日、1頁。 
  46. ^ 児島襄『天皇(V)帝国の終焉』文春文庫 p.118 1981年
  47. ^ a b c d e f g h i 本田雅俊 (2008-07-29). 総理の辞め方. PHP研究所. pp. 80-89. ISBN 978-4-569-70085-4 
  48. ^ a b c リ・ヒョンチョル 2000, p. 34.
  49. ^ a b リ・ヒョンチョル 2000, p. 35.
  50. ^ a b リ・ヒョンチョル 2000, p. 36.
  51. ^ 工藤美代子 2012, pp. 168–169.
  52. ^ 工藤美代子 2012, pp. 205–208.
  53. ^ 工藤美代子 2012, pp. 284–291.
  54. ^ 工藤美代子 2012, pp. 278–208.
  55. ^ 岸信介の回想 1981, p. 97.
  56. ^ 工藤美代子 2012, p. 289.
  57. ^ 小泉・安倍・中川の“政治的DNA””. 歳川隆雄のコンフィデンシャル情報. 2006年7月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年8月26日閲覧。
  58. ^ 岸信介の回想 1981, pp. 102–103.
  59. ^ a b c 北岡伸一 2011, p. 10.
  60. ^ https://gendai.media/articles/-/113051?page=3
  61. ^ 原彬久 2003, p. 116.
  62. ^ 第26回国会 衆議院本会議 第4号 (昭和32年2月4日)発言№005 岸信介 内閣総理大臣臨時代理の施政方針に関する演説説”. 国会会議録検索システム. 国立国会図書館 (1957年2月4日). 2020年2月7日閲覧。
  63. ^ a b c d e f g h i 北岡伸一 2011, p. 11.
  64. ^ 名越 2019, pp. 58–78.
  65. ^ a b c d おじいちゃんの「秘密の話」 | 特集記事”. NHK政治マガジン. 日本放送協会 (2018年12月26日). 2020年10月17日閲覧。
  66. ^ コン・ヨンスク 2000, p. 186.
  67. ^ コン・ヨンスク 2000, p. 173.
  68. ^ コン・ヨンスク 2000, p. 175.
  69. ^ a b コン・ヨンスク 2000, p. 176.
  70. ^ コン・ヨンスク 2000, p. 177.
  71. ^ 外務省「わが外交の近況」1957年9月
  72. ^ 北岡伸一 2011, p. 8.
  73. ^ 北岡伸一 2011, p. 9.
  74. ^ コン・ヨンスク 2000, pp. 175–176.
  75. ^ 藤山愛一郎『政治わが道』朝日新聞社、1976年、pp. 2-12.
  76. ^ コン・ヨンスク 2000, p. 179.
  77. ^ a b コン・ヨンスク 2000, p. 181.
  78. ^ コン・ヨンスク 2000, p. 182.
  79. ^ コン・ヨンスク 2000, p. 174.
  80. ^ コン・ヨンスク 2000, p. 183.
  81. ^ 神山茂夫 『日本の中立化と独立』 新読書社出版部 p.265
  82. ^ 増島宏 『現代日本の政党と政治』 大月書店 p.63
  83. ^ 佐藤俊一 『日本広域行政の研究―理論・歴史・実態』 成文堂 p.163
  84. ^ 第4次地方制度調査会「地方制度の改革に関する答申」(昭和32年10月)”. 広島県. p. 1. 2023年7月25日閲覧。
  85. ^ 昭和32年 - 日本医師会 (PDF)
  86. ^ “国民皆保険・皆年金(12)国民皆保険の達成”. 読売新聞. (2013年8月9日). https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20130809-OYTEW62023/ 2016年10月25日閲覧。 
  87. ^ 昭和63年 警察白書”. 警察庁. 2018年4月1日閲覧。
  88. ^ https://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-06-27/2010062701_03_1.html
  89. ^ TBSテレビ「サンデーモーニング」2015年5月3日
  90. ^ 「敵ながらあっぱれ」の首相か(朝日新聞『新ポリティカにっぽん』2015年5月5日、早野透)
  91. ^ 2008年1月号「池田大作の軌跡」編纂委員会『平和と文化の大城 池田大作の軌跡』「公明党を創立(下)」
  92. ^ 『ファーイースタン・エコノミック・レビュー』
  93. ^ 原彬久 2003, p. 292.
  94. ^ 外務省: 外交史料 Q&A 昭和戦後期”. www.mofa.go.jp. 2023年7月25日閲覧。
  95. ^ 改訂新版, ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,山川 日本史小辞典. “ハガチー事件(ハガチーじけん)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年7月25日閲覧。
  96. ^ 【安保改定の真実(8)完】岸信介の退陣 佐藤栄作との兄弟酒「ここで二人で死のう」 吉田茂と密かに決めた人事とは…(1/8)”. 産経ニュース (2015年9月23日). 2020年10月11日閲覧。
  97. ^ 京都新聞2020年2月18日朝刊
  98. ^ 副島隆彦『日本の秘密』(弓立社、1999年、ISBN 4772703616
  99. ^ 【安保改定の真実(8)完】岸信介の退陣 佐藤栄作との兄弟酒「ここで二人で死のう」 吉田茂と密かに決めた人事とは…(3/8)”. 産経ニュース (2015年9月23日). 2020年10月11日閲覧。
  100. ^ a b 工藤美代子 2012, pp. 431–434.
  101. ^ 【安保改定の真実(8)完】岸信介の退陣 佐藤栄作との兄弟酒「ここで二人で死のう」 吉田茂と密かに決めた人事とは…”. 産経ニュース (2015年9月23日). 2020年10月11日閲覧。
  102. ^ a b 荒井荒雄 1976, pp. 183–185.
  103. ^ 工藤美代子 2012, p. 438.
  104. ^ 首相列伝 2003, p. 17, 首相が見た「時代」の一瞬.
  105. ^ 日本の素顔「政治テロ」 (1960年(昭和35年)10月16日)
  106. ^ a b 【安保改定の真実(8)完】岸信介の退陣 佐藤栄作との兄弟酒「ここで二人で死のう」 吉田茂と密かに決めた人事とは…(7/8)”. 産経ニュース (2015年9月23日). 2020年10月11日閲覧。
  107. ^ 岩見隆夫 1999, pp. 273–278「第2部終章2節"岸を刺した男"」、初出は「文藝春秋」1977年11月号『満州の妖怪―岸信介研究』、同 1978年7月号『権力への野望―岸信介研究・戦後篇』。
  108. ^ 姜尚中,玄武岩『大日本・満州帝国の遺産』講談社、2010年
  109. ^ 金炯旭『権力と陰謀 : 元KCIA部長金炯旭が語る』合同出版 pp.300-309
  110. ^ 【独自】安倍家と統一教会との“深い関係”を示す機密文書を発見 米大統領に「文鮮明の釈放」を嘆願していた岸信介”. 週刊新潮 (2022年7月20日). 2022年7月20日閲覧。
  111. ^ 金炯旭『権力と陰謀 : 元KCIA部長金炯旭が語る』合同出版 pp.300-309
  112. ^ 派閥と多党化時代 , 渡辺恒雄 雪華社, 1967,p194
  113. ^ 安倍洋子 1992.
  114. ^ “異例国葬、党内に配慮 全額国費、首相は正当性強調:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞. (2022年7月15日). https://www.asahi.com/articles/DA3S15356795.html 
  115. ^ 工藤美代子 2012, p. 113.
  116. ^ 工藤美代子 2012, p. 131.
  117. ^ 工藤美代子 2012, p. 140-143.
  118. ^ 牧原出 2003.
  119. ^ 三島 1975, pp. 520 "氏が何もかも信じてゐず、いかにも自分では信念の人だと思つてゐるかもしれないが、自分の政治的信條を素朴に信じることのできない性格だといふことは、民衆には直感的にわかつてをり、かうした氏の不幸が不信と不安の種子をまいてゐるのであるらしい。"
  120. ^ 中曽根康弘『自省録-歴史法廷の被告として-』新潮社、2004年6月。 66頁、93頁。
  121. ^ 工藤美代子 2012, p. 143.
  122. ^ 岸信介とCIAの密接な関係 自民党にも金の流れ? 〈週刊朝日〉”. AERA dot. (2013年5月17日). 2021年1月11日閲覧。
  123. ^ 共同通信 (2006年7月19日). “左派弱体化へ秘密資金 米CIA、保革両勢力に”. 47news. オリジナルの2015年10月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20151015035853/http://www.47news.jp/CN/200607/CN2006071901000837.html 2015年2月3日閲覧。 
  124. ^ 週刊文春2007年10月4日
  125. ^ 『自民にCIA資金』しんぶん赤旗 2006年7月20日
  126. ^ 『名越健郎×春名幹男:「米露公文書」で解き明かす日本外交「秘史」』新潮社 Foresight https://www.fsight.jp/articles/-/46389
  127. ^ 名越 2019, p. 312.
  128. ^ 岩川隆 2006, p. 111.
  129. ^ a b 岩川隆 2006, p. 133.
  130. ^ 安藤俊裕 (2012年8月19日). “57歳で初当選、岸内閣の官房長官に 「飄逸とした仕事師」椎名悦三郎(3)”. 政客列伝 (日本経済新聞社): p. 3. http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK06030_W2A800C1000000/?df=3 2015年11月19日閲覧。 
  131. ^ 工藤美代子 2012, pp. 448–449.
  132. ^ 岩川隆 2006, pp. 257–304.
  133. ^ 工藤美代子 2012, pp. 439–445.
  134. ^ 岩見隆夫「昭和の妖怪 岸信介(中公文庫)」2012年11月発行
  135. ^ 工藤美代子 2012, pp. 244–245.
  136. ^ 工藤美代子 2012.
  137. ^ 岸信介の回想 1981, pp. 73–74.
  138. ^ 細川隆一郎 1986, p. 85.
  139. ^ 工藤美代子 2012, pp. 211–212.
  140. ^ 工藤美代子 2012, pp. 212–213.
  141. ^ 岸信介と統一教会を仲介したのは謎の「踊る女性教祖」? 警視庁公安部が捜査していた政治家の実名も”. デイリー新潮 (2022年8月15日). 2022年11月20日閲覧。
  142. ^ 北村サヨ(日本大百科全書、デジタル版日本人名大辞典+Plus、世界大百科事典第2版)”. コトバンク. 2022年11月20日閲覧。
  143. ^ 北村サヨ(20世紀日本人名事典)”. コトバンク. 2022年11月20日閲覧。
  144. ^ 岸信介の “私邸” が統一教会の本部に…「西郷どん」と「高峰三枝子」がつないだ数奇な縁”. Smart FLASH (2022年7月27日). 2023年2月2日閲覧。
  145. ^ 日本統一運動史 52 全国的規模での統一教会の最初の決断式”. 光言社 (2020年6月21日). 2022年11月8日閲覧。
  146. ^ 日本統一運動史 54(最終回) 宗教法人・統一教会の出発”. 光言社 (2020年7月5日). 2022年11月8日閲覧。
  147. ^ 徹底追及 統一協会 闇勢力編(下)岸信介元首相と懇意 “勝共運動飛躍の契機””. しんぶん赤旗 (2022年8月18日). 2022年11月8日閲覧。
  148. ^ 柳錫 (2022年10月6日). “統一教会・文鮮明“お言葉集”発掘「安倍晋太郎は私と契約書を書いた」「福田赳夫と中曽根は私が首相にした」”. 文春オンライン. 2022年11月8日閲覧。
  149. ^ a b 【文鮮明総裁聖和節記念】日本を愛した文先生の足跡 15 南平台から松涛へ(最終回)”. 光言社 (2021年10月13日). 2022年11月8日閲覧。
  150. ^ a b 久保木 1996, pp. 103–112.
  151. ^ 梶栗玄太郎 (2012年9月7日). “追悼の言”. 国際勝共連合. 2022年11月14日閲覧。
  152. ^ 社会科学辞典編集委員会 編『新版 社会科学辞典』新日本出版社、1978年9月。 
  153. ^ 茶本繁正「『反共』陣営と連動する勝共連合」 『朝日ジャーナル』1978年8月11日・18日号、 31-35頁。
  154. ^ 久保木 1996, pp. 95–112.
  155. ^ 概要”. 新しい憲法をつくる国民会議(=自主憲法制定国民会議). 2022年11月18日閲覧。
  156. ^ 第75回国会 衆議院 法務委員会 第19号 昭和50年5月14日”. 国会会議録検索システム. 2022年11月22日閲覧。
  157. ^ 自民党と旧統一教会 右派とのつながり深く 長年親交…別れられるのか?”. 毎日新聞 (2022年9月14日). 2022年11月20日閲覧。
  158. ^ 久保木 1996.
  159. ^ 鈴木エイト、塚田穂高(編)「統一教会=勝共連合ーその右派運動の歴史と現在」『徹底検証 日本の右傾化』筑摩書房、2017年 ISBN 978-4-480-01649-2 pp.342-351
  160. ^ a b 久保木 1996, pp. 123–135.
  161. ^ 藤田庄市. “日本における統一教会の活動とその問題点―活字メディアで報道された批判を中心に―”. 国際宗教研究所 宗教情報リサーチセンター. 2022年11月22日閲覧。
  162. ^ 統一協会 危険な二つの顔 反社会的カルト集団 勝共連合 反共・反動の先兵”. しんぶん赤旗 (2022年8月28日). 2022年11月22日閲覧。
  163. ^ 一連の報道への当研究所の見解”. 世界戦略総合研究所 (2022年7月30日). 2022年11月22日閲覧。
  164. ^ 『毎日新聞』1970年10月22日号 朝刊 17面
  165. ^ a b c 歴史編纂委員会『日本統一運動史ー文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』光言社 P281~355
  166. ^ 第95回国会 参議院文教委員会 第2号 (昭和56年10月22日)発言№284 佐藤昭夫”. 国会会議録検索システム. 国立国会図書館 (1981年10月22日). 2020年2月7日閲覧。
  167. ^ 『朝日新聞』1976年12月18日、「統一協会支持派が客を招き晩さん会」。
  168. ^ 「我々は世界を支配できると思った」米・統一教会の元幹部が語った”選挙協力”と”高額報酬”の実態【報道特集】”. TBS NEWS DIG. JNN. 2023年3月7日閲覧。
  169. ^ 木原育子、中沢佳子 (2022年8月17日). “旧統一教会系と歩んだ安倍氏「3代」…スパイ防止法を巡る歴史から闇を読み解く”. 東京新聞. 2023年2月17日閲覧。
  170. ^ 赤尾光史 (2014年3月). “特定秘密保護法と新聞メディアの記憶 ─刑法改正およびスパイ防止法論議との比較を中心に─”. Journalism & Media No.7. https://www.publication.law.nihon-u.ac.jp/pdf/journalism/journalism_7/each/20.pdf. 
  171. ^ 当団体について”. 「スパイ防止法」制定促進サイト. スパイ防止法制定促進国民会議. 2023年2月17日閲覧。
  172. ^ 勝共運動50周年記念インタビュー 元参議院議員 堀江正夫氏に聞く”. 国際勝共連合 (2018年4月20日). 2022年10月17日閲覧。
  173. ^ 真の父母様と統一運動の歴史 1970-1989”. 光言社. 2022年10月12日閲覧。
  174. ^ 徳本栄一郎 (2023年5月7日). “「安倍晋三元首相」暗殺の闇 なぜ祖父・岸信介は「統一教会教祖」の釈放嘆願書をレーガン大統領に送ったのか”. デイリー新潮. 2023年9月21日閲覧。
  175. ^ 原彬久「ポスト小泉の麻生氏と安倍氏、祖父が争った国のかたち―闘い方が時代を占う指標に」(『朝日新聞』2005年12月15日夕刊14面)
  176. ^ 沿革・理念”. 皇學館大学. 2015年2月6日閲覧。
  177. ^ 工藤美代子 2012, pp. 375–380.
  178. ^ 特殊切手「日米安全保障条約改定50周年」の発行”. 特殊切手 平成22年度発行一覧. 日本郵便. 2015年2月6日閲覧。
  179. ^ 「昭和の妖怪」の素顔 古沢襄(杜父魚文庫)”. 2007年8月26日閲覧。
  180. ^ “岸と金丸、対日政界工作=親台派取り込み-中国建国70年秘史”. 時事通信. (2019年10月6日). https://web.archive.org/web/20191006070356/https://www.jiji.com/jc/article?k=2019100500380 2019年11月5日閲覧。 
  181. ^ 岡潔『岡潔先生二十年祭記念 聴雨録 - 師弟座談集 - 』(真情会、1998年発行)
  182. ^ 工藤美代子 2012, pp. 389–390.
  183. ^ a b 工藤美代子 2012, pp. 471–472.
  184. ^ Relations between TSUJI Masanobu and Prime Minsiter KISHI Nobusuke”. CIA. 2021年10月8日閲覧。
  185. ^ 工藤美代子 2012, p. 225-232.
  186. ^ a b c Nomination Database Nobusuka Kishi (2015年現在、1964年分まで公開). ノーベル賞公式サイト. 2015年4月30日閲覧。
  187. ^ Nomination Database Country of nominee is: JAPAN (2015年現在、1964年分まで公開). ノーベル賞公式サイト. 2015年5月4日閲覧。
  188. ^ a b 吉武信彦 2014, p. 6.
  189. ^ 吉武信彦 2014, p. 5.
  190. ^ a b 吉武信彦 2014, p. 7.
  191. ^ 【4月6日】1958年(昭33) デビュー4打席4三振 その後の長嶋茂雄 スポニチアネックス2008年3月25日記事
  192. ^ 宇佐美徹也『宇佐美徹也の記録巨人軍65年』説話社、2000年、p.98[1]
  193. ^ 【1957】日本の現職の総理大臣としては初めて始球式登板! - 野球太郎twitter
  194. ^ ““アベノミクス”より、はるかに大胆かつ、実効性があった“イケノミクス”。その池田首相も広島の弱さだけは……”. 週刊ベースボール. (2015年1月26日). http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=018-20150202-01 2020年12月30日閲覧。 
  195. ^ a b 波瀾と浪漫の球団。マリーンズの前身、オリオンズ”. 週刊ベースボール(2018年5月27日作成). 2020年1月19日閲覧。
  196. ^ ロッテ創業者、重光武雄氏 日韓両国で足跡 愛されるブランド”. 産経新聞(2020年1月19日作成). 2020年1月19日閲覧。
  197. ^ 「球団黒字」夢見て奔走 他業界も研究 ロッテオーナー重光武雄さん死去”. 毎日新聞(2020年1月19日作成). 2020年1月19日閲覧。
  198. ^ 記者に逆取材も、第三者の声聞く柔軟さ/重光氏悼む”. 日刊スポーツ(2020年1月19日作成). 2020年1月19日閲覧。
  199. ^ ETV特集「日系アメリカ人の“日本”」”. NHK. 2021年12月18日閲覧。
  200. ^ 貴堂嘉之『移民国家アメリカの歴史』岩波書店〈岩波新書・新赤版1744〉、2018年10月19日、199頁。 
  201. ^ Glen S. Fukushima (2006年7月24日). “Don't Be a Bridge, Be a Player!” (英語). Japanese American Veterans Association (日系アメリカ人退役軍人協会). 2023年2月14日閲覧。U.S. Senator Daniel Inouye describes his meeting in Tokyo in 1959 with then Prime Minister Nobusuke Kishi」で始まる段落が該当部分。
  202. ^ 藤井旭 2015, p. 12.
  203. ^ 有馬純達 (2007年4月). “チャーチル国葬(有馬純達・朝日新聞特派員)2007年4月”. 日本記者クラブ Japan National Press Club (JNPC). 日本記者クラブ. 2022年10月4日閲覧。
  204. ^ 『官報』第4156号「叙任及辞令」1940年11月12日。
  205. ^ 『官報』第5153号「叙任及辞令」1944年3月20日。
  206. ^ 日本財団図書館 「興四海野春風―2002 20年の歩み―」”. 2007年8月26日閲覧。
  207. ^ 朝日新聞 1987年8月22日朝刊
  208. ^ 『官報』 1942年07月11日 叙任及辞令 「商工大臣 従三位 勲二等 岸信介 満洲国皇帝陛下ヨリ贈与シタル国境事変従軍記章ヲ受領シ佩用スルヲ允許セラル 七月六日賞勲局」
  209. ^ 山田 『正伝 佐藤栄作』(上) 1988, p. 15.
  210. ^ 吉本重義 1957, p. 27.
  211. ^ 岩川隆 『巨魁 岸信介研究』, pp. 15–16.
  212. ^ 岩川隆 『巨魁 岸信介研究』, p. 16.
  213. ^ 真光寺田布施町観光協会Facebook
  214. ^ 吉本重義 1957, p. 21.
  215. ^ a b 山田 『正伝 佐藤栄作』(上) 1988, p. 20.
  216. ^ 岩川隆 1984, p. 19.
  217. ^ 吉本重義 1957, pp. 25–26.
  218. ^ 岩川隆 1984, pp. 58–59.
  219. ^ 吉本重義 1957, p. 47.
  220. ^ 工藤美代子 2012, pp. 48–49.
  221. ^ ようこそ、田布施町郷土館へ”. 田布施町. 2015年2月6日閲覧。
  222. ^ 岸遺品展示室.
  223. ^ 佐藤榮作宰相の遺品展示室”. 田布施町郷土館. 田布施町. 2015年2月6日閲覧。
  224. ^ ごあいさつ”. 東山旧岸邸. 2015年2月6日閲覧。



岸信介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 20:16 UTC 版)

虹色のトロツキー」の記事における「岸信介」の解説

当時満州国国務院実業総務司長。のちに東條内閣において商工大臣戦後戦犯容疑者となるも復権、のちに首相

※この「岸信介」の解説は、「虹色のトロツキー」の解説の一部です。
「岸信介」を含む「虹色のトロツキー」の記事については、「虹色のトロツキー」の概要を参照ください。


岸信介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 07:00 UTC 版)

後藤田正晴」の記事における「岸信介」の解説

官僚時代自民党幹事長であった岸信介と対面したことがあるそのときには、岸が大変な素晴らし能力持ち主であるとともに戦争対す反省がないという印象受けた後藤田は、「岸さんの立場になれば言い分はあるだろうな」としながらも、個人的には元戦犯容疑者日本首班になることに対して疑問があったとしている。 田中判決解散にあたって中曽根から獲得議席見通し尋ねられ後藤田20議席は減るだろうと答えたが、第37回衆議院議員総選挙はそれをさらに大きく下回る34議席減となる大敗北を喫し後藤田読み違いにより自民党半数割り込むこととなった。この結果に対して党内責任を問う声が噴出し中曽根進退問題にまで発展したが、党最高顧問となっていた岸が中曽根外交と内政支持したことから、中曽根政権延命した。

※この「岸信介」の解説は、「後藤田正晴」の解説の一部です。
「岸信介」を含む「後藤田正晴」の記事については、「後藤田正晴」の概要を参照ください。


岸信介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:10 UTC 版)

村山富市」の記事における「岸信介」の解説

岸信介首相日米安保条約改定行った1960年村山大分市議会議員だったが国会周辺行われた安保反対デモ参加した。「岸内閣やり方は、民主主義否定するものとい意識強かった」と述懐している。ただ村山首相に就任した直後1995年7月20日国会答弁で、自衛隊合憲認めとともに日米安保条約容認表明し長年日本社会党政策転換行った

※この「岸信介」の解説は、「村山富市」の解説の一部です。
「岸信介」を含む「村山富市」の記事については、「村山富市」の概要を参照ください。


岸信介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 02:06 UTC 版)

児玉誉士夫」の記事における「岸信介」の解説

1954年には、鳩山一郎総理大臣にするために三木武吉画策力を貸した1955年には自由党緒方自由党)と合併して自民党になった誠心誠意嘘をつくなど名言残した三木武吉は病の床で「こだまをよろしく」との言葉を残した。 後その後自民党緊密な関係を保ち長らく最も大きな影響力行使できるフィクサー黒幕)として君臨した。岸信介が首相になる際にもその力を行使した。 岸首相第1次FX問題をめぐる汚職社会党今澄勇追及していた時には等々力児玉私邸二度呼び児玉追及止めるように圧力をかけた。今澄がこれを拒むと、今澄の政治資金提供元と金額・使っている料理屋付き合っている女が全て書かれていた身上調書を今澄に渡して全て明かすとして追及止めさせている。児玉東京スポーツ所有する他に、腹心いくつも雑誌社役員送り込んでいた。それらに書き立てられることは脅威となった日米安保条約改定のため党内協力が必要となった岸信介は1959年1月16日次期総理大臣党人派大野伴睦譲り渡す誓約をした。その立会人児玉であり、河野一郎佐藤栄作署名した誓約書残されている。改定反対する安保闘争阻止するため、岸信介首相自民党木村篤太郎らにヤクザ右翼動員させたが、児玉はその世話役務めた1962年昭和37年)の夏頃から、「(安保闘争のような一朝有事備えて全国博徒親睦大同団結のもとに、反共防波堤となる強固な組織作る」という構想のもと、児玉誉士夫東亜同友会結成試みた結局、同会は結成されなかった。しかし、錦政会稲川裕芳会長北星会・岡村吾一会長東声会町井久之会長らの同意取り付けていた。昭和38年1963年)には、関東関西暴力団の手打ち進め三代目山口組田岡一雄組長町井会長との「兄弟盃」を実現させた。

※この「岸信介」の解説は、「児玉誉士夫」の解説の一部です。
「岸信介」を含む「児玉誉士夫」の記事については、「児玉誉士夫」の概要を参照ください。


岸 信介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 09:48 UTC 版)

国が燃える」の記事における「岸 信介」の解説

商工省における勇介の先輩。後の内閣総理大臣

※この「岸 信介」の解説は、「国が燃える」の解説の一部です。
「岸 信介」を含む「国が燃える」の記事については、「国が燃える」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「岸信介」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「岸信介」の関連用語

岸信介のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



岸信介のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
首相官邸首相官邸
Copyright (C) 2024 首相官邸 All rights reserved.
内閣制度と歴代内閣
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2024 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの岸信介 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの虹色のトロツキー (改訂履歴)、後藤田正晴 (改訂履歴)、村山富市 (改訂履歴)、児玉誉士夫 (改訂履歴)、国が燃える (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS