藤沢幾之輔とは? わかりやすく解説

藤沢幾之輔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/17 14:18 UTC 版)

藤沢 幾之輔 ふじさわ いくのすけ
生年月日 1859年3月20日
安政6年2月16日
出生地 江戸幕府陸奥国仙台清水小路(現:宮城県仙台市若林区
没年月日 (1940-04-03) 1940年4月3日(81歳没)
死没地 日本東京府
出身校 宮城英語学校
茂松法学舎
所属政党 立憲改進党→)
進歩党→)
憲政本党→)
立憲国民党→)
立憲同志会→)
憲政会→)
立憲民政党→)
同成会
称号 従二位
勲一等旭日大綬章
第28代 衆議院議長
在任期間 1930年4月21日 - 1931年4月13日
天皇 昭和天皇
第4代 商工大臣
内閣 第1次若槻内閣
在任期間 1926年9月14日 - 1927年4月20日
在任期間 1934年6月15日 - 1940年4月3日
在任期間 1931年4月13日 - 1934年6月20日
当選回数 13回
在任期間 1892年2月15日 - 1893年12月30日
1898年3月15日 - 1920年2月26日
1924年5月10日 - 1931年4月13日
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藤沢 幾之輔(ふじさわ いくのすけ[1][2]1859年3月20日安政6年2月16日[1] - 1940年昭和15年〉4月3日[1][3])は、明治大正、昭和期の日本政治家弁護士衆議院議員衆議院議長[1][4]、第1次若槻禮次郎内閣の商工大臣[1][4]貴族院議員を歴任した[4]。号は成天[1][4]

来歴・人物

1859年3月20日(安政6年2月16日)、陸奥国仙台(現:宮城県仙台市)清水小路の屋敷にて仙台藩の太刀上の藤沢敬治(景翼)の長男として生まれる[1][4]。藩一家の中村家新田氏)の分家で、祖父は源左衛門で父は養子であった。同年父は江戸勤務となり、文久2年8月21日に祖父が死去したため、知行地の栗原郡栗駒山下沼倉村に移住した。文久3年、父は伊達慶邦公の京都上洛の先手役となった。幾之輔は沼倉の寺子屋に通い、漢文を山下平三郎、手習を丹野平内に学んだ。明治維新後の1869年、沼倉から仙台の中島丁に移り、横田官平(一義)や日下博道、養賢堂教師の平井東園のもとで学んだ。15歳で函館に遊学した。

1875年に宮城英語学校[1][4]に入学、同級生には国分青崖や鈴木熊太郎、三田義正、菅原恒覧などがいた。しかし1876年に廃校となったため、片平町にあった岡鹿門の麟経堂で学んだ。18歳で上京して神田今川小路にあった、茂手木慶信と松井が設立した茂松法学舎で学んだ[1]。同郷の岩崎総十郎と勉学に励んだ。1879年(明治12年)、司法試験に合格し、弁護士を開業する[1][4]1889年(明治22年)、仙台市会議員に当選し、政界入りする[1][4]。その後仙台市会参事会員[1]、仙台市会議長[1][4]、宮城県会議員[1][4]、宮城県会常置委員[1]、宮城県会議長を経て[1][4]1892年(明治25年)には衆議院議員総選挙に立候補し当選する[1][4]。当選回数13回[1][4]

藤沢は立憲改進党系の政党に身を置き[1][4]憲政本党常議員[1][4]立憲同志会総務、憲政会総務[1][4]立憲民政党総務[1][4]、衆議院予算委員長を歴任した。1915年(大正4年)、逓信省内務省各参政官に就任[1]1926年(大正15年)には第1次若槻内閣商工大臣として入閣する[1][4]1930年(昭和5年)、衆議院議長に選出される[1][4]1931年(昭和6年)4月13日には貴族院議員に勅選され[4][5]同成会に所属し1934年(昭和9年)6月20日まで在任し[5]、同年、枢密顧問官に任命された[1][4]。墓所は輪王寺にある。

栄典

位階
勲章等
受章年 略綬 勲章名 備考
1906年(明治39年)4月1日 勲四等旭日小綬章[6]
1915年(大正4年)11月10日 大礼記念章[6][7]
1916年(大正5年)4月1日 勲三等旭日中綬章[6]
1919年(大正8年)2月11日 金杯一個[6]
1919年(大正8年)9月29日 銀杯一個[6]
1920年(大正9年)11月1日 銀杯一組[6]
1926年(大正15年)10月9日 勲二等瑞宝章[6]
1931年(昭和6年)12月12日 勲一等瑞宝章[6]
1934年(昭和9年)4月29日 金杯一個[6]
1940年(昭和15年)4月3日 旭日大綬章[6]
外国勲章佩用允許
受章年 国籍 略綬 勲章名 備考
1934年(昭和9年)3月1日 満州帝国 大満洲国建国功労章[6]

逸話

  • 石川啄木歌集悲しき玩具』に収められている「藤沢といふ代議士を/弟のごとく思ひて、/泣いてやりしかな。」という短歌は、幾之輔をモデルとしている。

伝記

  • 阿子島俊治著『藤沢幾之輔』斗南書院、1935年(昭和10年)、1997年平成9年)11月に大空社より『伝記叢書 278 藤沢幾之輔:伝記・藤沢幾之輔』として復刻

脚注・出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 『日本人名大事典 現代』、673頁。
  2. ^ 『コンサイス日本人名事典 第4版』、1123頁。
  3. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』158頁。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 『コンサイス日本人名事典 第4版』、1124頁。
  5. ^ a b 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、43頁。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 藤沢幾之輔」 アジア歴史資料センター Ref.A06051180700 
  7. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」大正5年12月13日。

参考文献

  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 『日本人名大事典 現代』平凡社、1979年(昭和54年)7月10日初版第1刷発行、ISBN 4-582-12200-0
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 三省堂編修所編 『コンサイス日本人名事典 第4版』三省堂、2001年(平成13年)9月10日第1刷発行、ISBN 4-385-15803-7


議会
先代
堀切善兵衛
衆議院議長
第28代:1930 - 1931
次代
中村啓次郎
公職
先代
片岡直温
商工大臣
第4代:1926 - 1927
次代
中橋德五郎




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