楠本正隆 くすもと まさたか
長崎生まれ。大村藩の藩校の監察を務め、尊攘・倒幕運動の高まりの中で藩の中老として活躍。明治5年(1872)新潟県令となり、県会開設、地租改正事業推進等の改革に努め、名地方官といわれた。地方官会議の幹事、内務大丞を経て、10年(1877)には東京府知事となり、市区改正等を行う。12年(1879)元老院議官、その後副議長。23年(1890)第1回総選挙で衆議院議員に当選(以後当選4回、進歩党等に所属)、26年(1893)には星亨の後を継いで衆議院議長に就任。都新聞社主、社長も務めた。29年(1896)男爵。
キーワード | 政治家 |
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楠本正隆
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楠本 正隆(くすもと まさたか、天保9年3月20日(1838年4月14日) - 明治35年(1902年)2月7日)は、肥前大村藩の武士、明治期の政治家。男爵。大久保利通の腹心として知られた。
- ^ “旧楠本正隆屋敷”. 【公式】長崎観光/旅行ポータルサイト ながさき旅ネット. 2021年12月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g “楠本正隆 | 近代日本人の肖像”. www.ndl.go.jp. 2021年12月15日閲覧。
- ^ 『官報』第2195号、明治23年10月22日。
- ^ 『官報』第3880号、明治29年6月6日。
- ^ 『官報』第678号「賞勲叙任」1885年10月2日。
- ^ 『官報』第994号「叙任及辞令」1886年10月21日。
- ^ 『官報』第3266号「叙任及辞令」1894年5月22日。
- ^ 『官報』第1324号「叙任及辞令」1887年11月26日。
- ^ 『官報』第1928号「叙任及辞令」1889年11月30日。
- ^ 『官報』第3811号「叙任及辞令」1896年3月16日。
- ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻、542頁。
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