肥塚龍とは? わかりやすく解説

肥塚龍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/23 05:12 UTC 版)

日本の政治家
肥塚 龍
こいづか りゅう
肥塚龍(1898年)
生年月日 嘉永元年1月10日
1848年2月14日
出生地 播磨国揖西郡御津村中島
没年月日 大正9年(1920年12月3日
出身校 工部省電信修技教場
前職 新聞記者
所属政党 立憲改進党(1890-1896)
進歩党(1896-1898)
憲政本党(1898-1910)
立憲国民党(1910-)
立憲同志会(1915-)
衆議院議員
選挙区 兵庫県第8区
当選回数 3回
在任期間 1894年 - 1902年
選挙区 兵庫県郡部区
当選回数 5回
在任期間 1902年 - 1917年1月25日
衆議院副議長
在任期間 1908年12月23日 - 1912年5月14日
第16代 東京府知事
当選回数 官選
在任期間 1898年7月16日 - 1898年11月12日
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肥塚 龍(こいづか りゅう、嘉永元年1月10日1848年2月14日) - 大正9年(1920年12月3日)は、東京府知事新聞記者の民権活動家。

自由民権運動に関し、大胆で新しい言論活動で注目を集めていた。

略歴

中島村(現・たつの市)の農家に生まれるが、武士たちが農民・町人を罵倒する現実に疑問を感じ、僧侶として身を立てるため14歳で網干にある大覚寺に入り、小坊主になり山空和尚の指導を受ける。後に京都に行き、賀茂神社の宮司の山本硯儒、高倉西念寺の諦導和尚に師事するが、明治維新の社会変動を目の当たりにする中で、東京に出ることを決意する[1]

東京曙新聞を経て横浜毎日新聞で急進的な民権論を訴え言論活動で注目を集めると、国会開設に伴い代議士を志す。1890年(明治23年)の第1回衆議院議員総選挙改進党公認で出馬するも、地元の兵庫県第8区(定数2)では改進党候補が3名乱立し共倒れに終わる(当選は改野耕三柴原政太郎)。1892年(明治25年)の第2回衆議院議員総選挙では改野・柴原らと争うのは大局的に不利とみて東京府第2区から立候補するも暴力的な選挙干渉を受け落選した。1894年(明治27年)の第3回衆議院議員総選挙に再び兵庫県第8区から立候補、今度は地元での積極的な選挙活動が功を奏し初当選を果たす[2]。以後第6回(東京都知事の職務に専念するため不出馬)、第8回(落選)を除き当選を重ねる。

代議士としては大隈重信と行動を共にし、大隈の腹心として農商務省鉱山局長、東京府知事、衆議院副議長を歴任[3]。しかし桂太郎が1913年(大正2年)1月に立憲同志会を設立すると肥塚は桂の誘いに応じて立憲同志会に移籍した。この移籍は支持者たちに「変節」と受け止められ多くの支持者が離れる結果となった。1917年(大正6年)の第13回衆議院議員総選挙には病気を理由に出馬せず政界引退、自らの後継者に唐端清太郎を推薦した[4]

次男はのちに肥塚の地盤を引き継いだ田中武雄 (広村の田中家に養子に入る)。

年譜

栄典

位階
勲章等

著書等

脚注

  1. ^ 「御津町史」第2巻 p.202
  2. ^ 「御津町史」第2巻 p.204
  3. ^ 「御津町史」第2巻 p.205
  4. ^ 「御津町史」第2巻 p.208
  5. ^ 『官報』第4172号「叙任及辞令」1897年6月1日。
  6. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1915年11月10日。

参考文献

関連文献

  • 柳愛林『トクヴィルと明治思想史 〈デモクラシー〉の発見と忘却』白水社、2021年10月28日。ISBN 9784560098653 

関連項目

公職
先代
岡部長職
東京府知事
官選第16代:1898
次代
千家尊福
先代
沼間守一
東京横浜毎日新聞社長
1890年 - 1894年
次代
島田三郎




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