田中武雄 (代議士)
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田中 武雄(たなか たけお、1888年(明治21年)6月26日 - 1970年(昭和45年)2月26日)は、日本の政治家、銀行家。衆議院議員、運輸大臣。
経歴
肥塚龍の次男として兵庫県揖保郡御津村(現・たつの市)に生まれ飾磨郡広村(現・姫路市)の酒造家田中家に養子に入る[1]。早稲田中学、青山学院高等科を卒業後、欧米へ留学。帰国後に鉄道大臣の秘書官となる。
1920年、肥塚の地盤を引き継ぎ第14回衆議院議員総選挙で兵庫県から出馬して当選、衆議院議員となる。以後、1942年4月の第21回総選挙まで、1928年2月の第16回総選挙(地盤が競合する土井権大に当選を阻まれる)を除き、通算7回の当選を果した。政党は憲政会や立憲民政党に所属した。その後、第2次若槻内閣の外務参与官、岡田内閣の拓務政務次官などを歴任。また、1921年にストックホルムで開催された第19回列国議会同盟会議や、1922年にハワイで開催された汎太平洋商業会議に出席した。
戦後は日本進歩党に所属し、幣原内閣で運輸大臣に就任した。翌年公職追放となる[3]。
その他、岩見銀行頭取、姫路銀行取締役、広銀行取締役、東京政情通信社長などを務めた。
脚注
参考文献
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- 衆議院・参議院 編『衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局〈議会制度七十年史〉、1962年12月。 NCID BN04828251。
- 日外アソシエーツ 編『政治家人名事典 明治〜昭和』(新訂)日外アソシエーツ、2003年10月。 ISBN 4-8169-1805-1。
公職 | ||
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先代 小日山直登 |
![]() 幣原内閣:1945 - 1946 |
次代 三土忠造 |
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