飾磨郡
飾磨郡(第1次)
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鎌倉時代後期頃には飾東郡と飾西郡に分割されていたようである。
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飾磨郡(第2次)
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1.水上村 2.城北村 3.市殿村 4.国衙村 5.飾磨町 6.家島村 7.高浜村・下中島村 8.妻鹿村 9.白浜村 10.八木村 11.糸引村 12.四郷村 13.御国野村 14.花田村 15.谷外村 16.谷内村 21.高岡村 22.安室村 23.曽左村 24.置塩村 25.鹿谷村 26.菅野村 27.余部村 28.八幡村 29.広村 30.英賀保村 31.津田村 32.荒川村 33.手柄村(紫:姫路市 *は発足時の姫路市) 明治29年(1896年)4月1日 - 郡制の施行のため、飾東郡・飾西郡の区域をもって発足。郡役所が姫路市に設置。全域が現・姫路市。(1町29村)旧・飾東郡(1町16村) - 水上村、城北村、市殿村、国衙村、飾磨町、家島村、高浜村、下中島村、妻鹿村、白浜村、八木村、糸引村、四郷村、御国野村、花田村、谷外村、谷内村 旧・飾西郡(13村) - 高岡村、安室村、曽左村、置塩村、鹿谷村、菅野村、余部村、八幡村、広村、英賀保村、津田村、荒川村、手柄村 7月1日 - 郡制を施行。 明治45年(1912年)4月1日(1町28村)国衙村の一部(北条・豊沢の各一部)・市殿村の一部(神屋・国府寺および市之郷の一部)が姫路市に編入。 国衙村の残部(庄田・南条および北条・豊沢の各残部)・市殿村の残部(阿保および市之郷の残部)が合併して城南村が発足。 大正8年(1919年)4月1日 - 下中島村が飾磨町に編入。(1町27村) 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。 大正14年(1925年)4月1日 - 城北村が姫路市に編入。(1町26村) 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。 昭和2年(1927年)11月1日 - 妻鹿村が町制施行して妻鹿町となる。(2町25村) 昭和3年(1928年)11月10日 - 家島村が町制施行して家島町となる。(3町24村) 昭和8年(1933年)4月1日(3町22村)水上村が姫路市に編入。 津田村が飾磨町に編入。 昭和10年(1935年)10月1日 - 城南村・高岡村が姫路市に編入。(3町20村) 昭和11年(1936年)1月11日 - 白浜村が町制施行し白浜町となる。(4町19村) 4月1日(4町14村)安室村・荒川村・手柄村が姫路市に編入。 高浜村・英賀保村が飾磨町に編入。 昭和13年(1938年)4月1日 - 妻鹿町が飾磨町に編入。(3町14村) 昭和15年(1940年)2月11日 - 飾磨町が市制施行して飾磨市となり、郡より離脱。(2町14村) 昭和16年(1941年)4月1日 - 広村・八幡村が合併して広畑町が発足。 (3町12村) 昭和21年(1946年)3月1日 - 白浜町・広畑町が姫路市・飾磨市・揖保郡網干町・大津村・勝原村・余部村と合併し、改めて姫路市が発足、郡より離脱。(1町12村) 昭和29年(1954年)7月1日 - 八木村・糸引村・曽左村・余部村が姫路市に編入。(1町8村) 8月1日 - 谷外村・谷内村が合併して飾東村が発足。(1町7村) 昭和30年(1955年)7月1日 - 置塩村・鹿谷村・菅野村が合併して夢前町が発足。(2町4村) 昭和32年(1957年)10月1日 - 四郷村・御国野村・花田村が姫路市に編入。(2町1村) 昭和33年(1958年)1月1日 - 飾東村が姫路市に編入。(2町) 平成18年(2006年)3月27日 - 家島町・夢前町が姫路市に編入。同日飾磨郡消滅。
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