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いちき‐おとひこ〔‐をとひこ〕【市来乙彦】


市来 乙彦 (いちき おとひこ)

市来 乙彦

氏 名
就 任
退 任
出身県:
市来 乙彦 (いちき おとひこ
大正12. 9. 5
昭和 2. 5.10
鹿児島県

 市来乙彦は、明治5年鹿児島藩士の三男として生まれました東京帝国大学法学部卒業大蔵省入り大蔵次官貴族院議員などを経て大正11年加藤友三郎内閣大蔵大臣就任すると、財政緊縮により第一次大戦後インフレ政策是正努めました

 大正12年9月日本銀行総裁就任してからは、震災地関係手形再割引による特別融通実施し関東大震災により打撃受けた経済界救済努めましたしかしながら不況年々深刻化し昭和2年3月には震災手形処理方法を巡る議論引き金として金融恐慌勃発したため、市中銀行対し積極的に臨時貸出行い事態の収拾努めました

 こうした中、ともすれば脅かされがちであった日本銀行資産健全性守り抜こうとの決意から、経営行き詰まっていた台湾銀行明治32年台湾設立され特殊銀行)への救済融資実施条件として、政府対し日本銀行への損失補償強く要求したとされています。昭和2年5月、この主張入れた日本銀行特別融通損失補償法」等が公布されたのを見届け日本銀行総裁の職を辞しました。

 辞任後東京市長に就任し財政改革を手がけたほか、戦後昭和22年には参議院議員当選しましたが、その後政界去り昭和29年81歳で亡くなりました

出典広報誌にちぎんクオータリー2000年春季号)』)

市来乙彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/27 07:52 UTC 版)

市来 乙彦(いちき おとひこ、正体字:市來 乙彥、明治5年4月13日1872年5月19日〉 - 昭和29年〈1954年2月19日)は、日本大蔵官僚政治家加藤友三郎内閣大蔵大臣日本銀行総裁貴族院議員(勅選)、参議院議員(1期3年)などを歴任した。


  1. ^ 『日本官僚制総合事典』東京大学出版会、2001年11月発行、176頁
  2. ^ 『官報』第1843号、大正7年9月23日
  3. ^ 『官報』第2965号「叙任及辞令」1922年6月21日。
  4. ^ 『官報』第6142号「叙任及辞令」明治36年12月21日
  5. ^ 『官報』第1850号「叙任及辞令」1918年10月2日。
  6. ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」大正11年2月14日
  7. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」昭和6年12月28日
  8. ^ 『官報』第7813号「叙任及辞令」明治42年7月12日


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