岸本綾夫とは? わかりやすく解説

岸本綾夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/16 19:36 UTC 版)

岸本 綾夫
生誕 1879年6月27日
日本 岡山県
死没 (1946-11-28) 1946年11月28日(67歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1899 - 1936
最終階級 陸軍大将
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岸本 綾夫(きしもと あやお、1879年6月27日 - 1946年11月28日)は、日本陸軍軍人東京市長。軍人としての最終階級は陸軍大将

経歴

岡山藩士・小学校長、岸本美時の二男として生まれる。郡役所書記、陸軍幼年学校を経て、1899年11月、陸軍士官学校(11期)を首席卒業し、翌年6月、砲兵少尉任官。陸軍砲工学校で学び、日露戦争では野砲兵第2連隊副官として出征し、徒歩歩兵第2連隊中隊長となった。旅順攻囲戦奉天会戦に参加。

要塞砲兵監部勤務の後、帝国大学派遣学生として東京帝国大学工学部造兵学科で学び、1909年7月に卒業した。大阪砲兵工廠員、欧州留学、砲工学校教官、陸軍省副官陸軍兵器本廠付(軍事調査部)、陸軍省軍務局課員、砲兵課長、野戦重砲兵第4連隊長などを歴任し、1924年12月、陸軍少将に進級した。陸軍科学研究所第2部長、同3部長、兵器局長、欧州出張などを経て、1930年8月、陸軍中将となり、陸軍造兵廠長官、技術本部長を務め、1936年8月、陸軍大将となり予備役に編入された。

その後、第19代東京市長、満州製鉄理事長を務め、撫順で終戦を迎えた。1945年11月28日、紅軍に連行され消息不明となった。1946年11月28日に死去とされている。

1943年4月、芝浦工業大学初代理事長に就任している。

栄典

親族

脚注

  1. ^ 『官報』第4920号「彙報-陸軍省-生徒卒業」1899年11月24日。

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
先代
大久保留次郎
東京市長
第19代: 1942年-1943年
次代
廃止



岸本綾夫

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満州 奇跡の脱出」の記事における「岸本綾夫」の解説

昭和製鋼所」の理事長

※この「岸本綾夫」の解説は、「満州 奇跡の脱出」の解説の一部です。
「岸本綾夫」を含む「満州 奇跡の脱出」の記事については、「満州 奇跡の脱出」の概要を参照ください。

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