兵器局
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「パンプキン・シザーズ」の記事における「兵器局」の解説
「帝国工房(おそらく旧名)」とも呼ばれる。軍で使われる兵器或いは設備全般の開発・整備を行う部署。 共和国に対する敵意が強い陸軍の中でも特にそれが酷い傾向があり、例えば「左回しのネジが最初に共和国で発明されていたら、帝国は右回しのネジを開発しただろう」などといわれる。重要部品に関してはほとんどカウプラン博士の特許技術が幅を利かせているため、カウプラン機関からの資料提供を受けてから開発している。マルケイユ伯爵が開発室の副室長を務めている。 技術開発部技術開発班 - 主任:ウェブナー技術中尉待遇・三等文官 現在は情報部に出向しており、情報部で使う車両(戦車・装甲車なども含む)や銃器の装備・整備・開発を行っている。出向中といえど、あくまで兵器局系に属するため、1課でも安易に手が出せない。
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兵器局
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「パンプキン・シザーズの登場人物一覧」の記事における「兵器局」の解説
マルケイユ伯爵 兵器局第1開発室副室長。特等文官。貴族 極端な貴族主義者で、戦死者も貴族士官以外の兵や平民は勘定に入れないというレベル。故に人間とは認識していない(精々「口を利く家畜」扱いの)平民の台頭を非常に嫌う。故にカウプランを毛嫌いしており、彼が「不可視の9番」の計画を自身の目的のために利用していたと知ると、率先して糾弾に回る(特にカウプランの高弟達が師の下を離れたのはマルケイユの手引きがあった可能性をミュゼが指摘している)。カウプランが失踪した今も尚、彼の名が出ることをよく思っていない。 合同会議では技術交換会ではコルトゥ博士の講演に水を差そうとして失敗。直後に起きた抗・帝国軍の要求「旧ペリオン国の放棄」から同地の軍事工場で停戦条約の配備数を上回る数の戦車を(補修部品の名目で組み立てれば数10輌作れるだけ)密造していたことが発覚した。情報部からは質疑応答のみで捨て置かれたが、この件は重要な取引材料とされる可能性が高い。しかし、全ての責任を抱えて自決する度胸もない有様でいる。 ウェブナー 声 - 平松晶子 情報部技術班主任。技術中尉。女性。 長身で巨乳、赤毛の短髪で姉御肌の女性。作業着であるツナギにタンクトップ姿と咥え煙草がトレードマーク。整備士、技術者として優秀であり、また喧嘩も強い。厳密には兵器局から情報部技術班に出向しているという立場であり、情報部内では比較的自由が確保されている。3課に肩入れしている数少ない人物でもあり、マーチスを好いている。 技術者として、帝国の技術的優位は、資源や生産力の高い国によって簡単に覆されることを危惧している。特にカウプランの技術について、特許が技術進化を阻害することで帝国を守っているとしつつ、カウプランの残した技術の足跡を追うのはかえって帝国を追い込むのではないかと考察している。 良家の出身だが、かつてはバイクを走らせていた不良娘で「門限7時の紅夜叉」と不良から恐れられていた。この頃は良家の子女らしく長い髪だったが、整備士になる上でばっさり切っている。父親は兵器局に入る前に他界しており、マルケイユの側近でもあるオーベルトが後見人を務めている。
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兵器局
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 07:04 UTC 版)
日露戦争に辛勝した日本は、兵器の研究・改良の必要性から明治41年12月に兵器局を設置する。始め銃砲課・器材課の二課を管掌していた。外局の陸軍技術審査部、陸軍兵器廠、砲兵工廠及び陸軍火薬研究所も所管した。大正7年6月には工政課を新設し軍需工業動員について管掌した。かねてから兵器に関する行政・実務は陸軍省兵器局・陸軍技術本部・陸軍兵器廠が執り行っていたが、内局か外局と言う立場があるものの何れも陸軍大臣の下に位置し並列で在った為、一元化を図り昭和17年10月これらを統合し新たに陸軍省の外局として陸軍兵器行政本部に改編した。 明治41年12月21日:兵器局新設、銃砲課・器材課を置く 大正7年6月6日:工政課を置く 大正15年9月30日:工政課を廃止 昭和11年8月1日:器材課を廃し、機械課を置く 昭和16年4月10日:器材課が復活 昭和17年10月15日:兵器行政本部に改組 歴代兵器局長 (心)島川文八郎 砲兵大佐:明治41年12月21日 - 明治42年1月28日 島川文八郎 少将:明治42年1月28日 - 筑紫熊七 少将:大正2年7月3日 - 1917年8月6日 渡辺満太郎 少将:大正6年8月6日 - 筑紫熊七 中将:大正7年11月1日 - 吉田豊彦 少将:大正10年5月5日 - 大橋顧四郎 少将:大正13年2月4日 - 岸本綾夫 少将:昭和3年8月10日 - 植村東彦 少将:昭和5年8月1日 - 多田礼吉 少将:昭和9年8月1日 - 木村兵太郎 少将:昭和11年8月1日 - 菅晴次 少将:昭和14年3月9日 -
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