陸軍造兵廠とは? わかりやすく解説

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りくぐん‐ぞうへいしょう〔‐ザウヘイシヤウ〕【陸軍造兵×廠】

読み方:りくぐんぞうへいしょう

陸軍兵器弾薬器材などの考案設計・製造修理などをする施設旧日本陸軍では大正12年(1923)に砲兵工廠改称し設置。本廠を東京赤羽(のち福岡県小倉)に置き、各地工廠管轄した。


陸軍造兵廠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/23 15:47 UTC 版)

名古屋陸軍造兵廠・鷹来製造所跡

陸軍造兵廠(りくぐんぞうへいしょう)は、大日本帝国陸軍の機関の一つ。

概要

1923年大正12年)3月29日に創設された帝国陸軍の兵器製造施設。[1]小銃弾薬火砲等の製造から馬具軍刀に至るまで、国内4箇所の工廠と2箇所の兵器製造所に於いて製造にあたった。陸軍大臣に直隷し、長官には陸軍中将が就いた。初代長官は横山彦六中将で、1940年昭和15年)4月1日、第8代長官小須田勝造中将の時に、陸軍兵器廠に統合された[2]

沿革

  • 前身は、1879年(明治12年)10月に設置された砲兵工廠で、砲兵工廠提理が統括した。本廠である東京砲兵工廠と、支廠たる大阪砲兵工廠の二つが在った。
  • 1923年(大正12年)3月29日に陸軍造兵廠に改編され、長を長官と改めた。本廠は兵器の考案・設計、長官直轄製造所の管理、所掌事務を行い、東京大阪名古屋に工廠を置いた。火薬・爆薬の製造を主に取り扱った工廠を火工廠とし、これも東京に置いた。後に小倉・南満州奉天)に工廠を増設した。夫々の工廠には小銃・砲具等の製造所を置き、火工廠は火薬製造所を置いた。この他本廠直轄製造所として、小倉兵器製造所・平壌兵器製造所があった。
  • 1936年(昭和11年)に、長官の植村東彦中将、首席陸軍技師(勅任官)西村文雄が兵器納入業者から賄賂を受け取ったとして逮捕された。
  • 1940年(昭和15年)4月1日に、従来の陸軍兵器廠と統合され廃止。この陸軍兵器廠の下に支廠として各陸軍造兵廠が置かれた。これは、今までの工廠にあたる格で東京第一・東京第二・相模・名古屋・大阪・仁川・南満に置かれた。東京第一の場合、正式には「東京第一陸軍造兵廠」と称した。

歴代長官

最終所属機関

東京第一陸軍造兵廠大宮製造所集合写真 (1945年8月)

※括弧内は陸軍兵器廠に統合後の名称。

脚注

  1. ^ 陸軍造兵廠令。大正12年3月30日勅令第83号。
  2. ^ 陸軍兵器廠令。昭和15年4月1日、勅令第209号。従前の陸軍兵器廠令(大正2年3月28日、勅令第30号)を廃止し、従前の陸軍造兵廠令を全部改正し、陸軍兵器廠令に改題した。

参考文献

関連項目



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