東武啓志線とは? わかりやすく解説

東武啓志線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/27 16:05 UTC 版)

啓志線(けいしせん)は、グラントハイツ(現・光が丘)に建設された駐留アメリカ軍上級士官住宅居住者、関係者の人員輸送、物資輸送のため、上板橋駅 - グラントハイツ駅(旧・啓志駅)間を結ぶ東武鉄道が運営していた鉄道路線


  1. ^ a b 啓志線の廃止年月には諸説あるが、「東武鉄道百年史」では路線・駅廃止日とも、1959年(昭和34年)7月22日と記載されている。
  2. ^ 練馬区独立三十周年記念「練馬区史(現勢編)」(昭和56年刊行)によるとグラントハイツ駅は現在の光が丘秋の陽小学校北側に設置された。
  3. ^ 東武鉄道では他に、館林駅西小泉駅朝霞駅の各駅にRTOが置かれた。
  4. ^ 三井住友トラスト不動産「写真でひもとく街のなりたち~6:光が丘の誕生、陸軍の飛行場から新しい街へ」より。


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東武啓志線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 06:20 UTC 版)

北町 (練馬区)」の記事における「東武啓志線」の解説

詳細は「東武啓志線」を参照 戦時中1943年昭和18年)、軍用路線上板橋 - 陸軍第一造兵廠構内2021年現在陸上自衛隊練馬駐屯地内)間に開通した戦後は東武啓志線・練馬倉庫駅改称した1959年昭和34年廃線啓志線上板橋方面から川越街道越えて富士街道現在のトーホープラザビル沿って進み自衛隊駐屯地内に入った駐屯地内から見つかった線路一部北町地区区民館で展示されている(練馬区北町小・中学校にも寄贈された)。当時、旧北町一丁目(現・錦二丁目)を蒸気機関車走り子供たちが耳を塞いで見物している写真練馬区保管している。

※この「東武啓志線」の解説は、「北町 (練馬区)」の解説の一部です。
「東武啓志線」を含む「北町 (練馬区)」の記事については、「北町 (練馬区)」の概要を参照ください。

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