板橋製造所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/22 10:24 UTC 版)
1876年に加賀藩江戸下屋敷の広大な跡地に石神井川の水力を利用した火薬工場(砲兵本廠板橋属廠)が発足した。明治政府が初めて設置した火薬製造所である。陸軍造兵廠の火工廠となり、1940年陸軍兵器廠東京第二陸軍造兵廠に改編された。東京第一や板橋製造所王子工場(現在は国立印刷局王子工場)、堀船倉庫とを結ぶ鉄道も敷設されていた。野口研究所、東京家政大学、愛歯技工専門学校などに当時の建物が現存する。2008年には「旧東京第二陸軍造兵廠建物群(東京家政大学構内)」が板橋区登録有形文化財となった。 2014年に旧野口研究所の敷地に旭化成不動産レジデンスによるマンション開発計画が持ちあがると、板橋区は旧東京第二陸軍造兵廠内火薬研究所等近代化遺産群調査団を結成し研究報告書を作成、2016年には旭化成から加賀公園側の土地の譲渡を受け公有化し、同時に史跡指定を目指した。2017年(平成27年)10月13日に「陸軍板橋火薬製造所跡」として国指定史跡に指定され、また2018年(平成30年)3月29日付で板橋区登録記念物(史跡)に登録された。 史跡公園として整備され、2024年にオープンする予定である。マンション予定地にある建造物も曳家により史跡公園予定地内に移される。
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