陸大卒業者と同等に扱われた者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 00:28 UTC 版)
「陸軍大学校」の記事における「陸大卒業者と同等に扱われた者」の解説
藤井非三四と石井正紀は、陸軍砲工学校(砲工学校)高等科優等卒業者は陸大卒業者と同等に扱われ、東京帝国大学等に員外学生として派遣されて学士号を取得した者は陸大恩賜組と同等に扱われたと述べている。秦郁彦は、砲工学校高等科優等卒業者は、卒業時に恩賜の軍刀を拝受し、陸大恩賜組と同等に扱われたと述べている。 陸軍省と参謀本部で人事担当部署に約7年勤務し、陸軍省人事局長を務めた額田坦は下記のように述べており、藤井非三四・石井正紀が述べる「東京帝国大学等に員外学生として派遣されて学士号を取得した者は陸大恩賜組と同等に扱われた」と一致している。 筆者は従来あまり優秀でもない技術将校(員外学生出身)がすべて天保の優秀者なみに抜擢されているから訂正せよ、との注意を受けたこともあり… — 額田坦、 山口宗之は、砲工学校高等科優等卒業者、陸軍から外部に派遣されて学士号または学位を取得した者は、陸大卒業者と同等に扱われたと述べている。さらに砲工学校高等科優等卒業者で中将以上に進級した者(27名)、学士号取得者で中将以上に進級した者(49名、ただし、内11名は砲工学校高等科優等卒業者と重複)の進級状況について 数字上では砲工優等の経歴が重いようである — 山口宗之、 としているが、次いで、陸士同期(11期)で砲工学校高等科優等の勝野正魚が中将に留まり、工学士の岸本綾夫が大将に親任された事例を取り上げて 砲工優等が学士号に対し必ずしも優位でなかったとも思われ、この点明弁しがたい — 山口宗之、 としている。 石井正紀は、陸士24期生(明治45年卒業)について調査し、 員外学生となった者は多くが中将に至っている。 砲兵科・工兵科で、砲工学校高等科を卒業したが、員外学生にならず、かつ陸大に進まなかった者の将官への進級割合は7割程度(ただし少将どまりが多い)。将官になったか否かという点に限れば、陸大卒業者とさほど遜色ない。 という趣旨を述べている。
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