陸奥のみち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/12 13:42 UTC 版)
「陸奥のみち、肥薩のみちほか」の記事における「陸奥のみち」の解説
旅の時期は1971年11月10日から11月12日まで。(初日が『立冬(この年は11月8日)から二日目』という記述から推定) 飛行機で東京から八戸に飛び、八戸に1泊後、久慈街道を経て久慈に至り、 太平洋沿いに八戸に戻りもう1泊した後、豊臣時代以降対立関係にあった津軽藩と南部藩の藩境まで足を延ばした。 寒冷ゆえ米作に適さなかった陸奥地域の過酷な運命とそこで育まれた安藤昌益の農本的共産主義思想を取り上げる。またこの地を旅した高山彦九郎や柳田國男について触れる。 登場する同行者は画家の須田剋太、編集部のH(朝日新聞、橋本申一)、および案内人の西村嘉。
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