肥薩のみち
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「陸奥のみち、肥薩のみちほか」の記事における「肥薩のみち」の解説
旅の時期は1972年3月22日から3月24日まで。 1972年1月より薩摩の人間風土を背景にした小説『翔ぶが如く』を執筆していた司馬は、この旅のはじめに、その小説の最終で描くことになる西南戦争の激戦地・田原坂を訪れる。さらに南下し、八代に立ち寄ったあと、人吉街道を通り、人吉にて1泊。人吉では鎌倉時代から700年以上続いた相良氏の城跡を訪れる。そのあと、戦国以降西南戦争まで藩外に対して閉ざされていた久七峠を越え、薩摩藩領に入る。その夜は鹿児島の三大ホテルの一つといわれるところに泊まったが、その猥雑さに鹿児島には洗練された文化意識というものが絶えてしまったのだという思いを抱いた。 九州が豊かさゆえに中央から独立圏を形成しえたこと、一方で、薩摩藩では富農富商が育たず、伝統を溜めこんで洗練し、次代に継承していくことがなかったため、明治で藩がくつがえると同時にすべてを失ったということが述べられている。 登場する同行者は須田剋太、編集部のH、編集部のHの同僚の婦人(原岡加寿栄)、詩人のT
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