対立関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 01:59 UTC 版)
執政の座を追われた大院君だが権勢への野心は衰えることなく、親政を行っている高宗と実際の執政者である閔妃一族を、事あるごとに排除することを画策し、自身に都合のいい王を立てて執政を掌ろうした。長男完興君は従順だったが血筋的に王位につけることは難しいので、完興君の子にあたり、軟弱な高宗と比べ大院君に似た強い意思の持ち主と見られた永宣君を推すようになった。大院君失脚を喜んでいた儒学者達や敵対勢力も、閔妃の開国政策について慎重な態度を表しはじめ、結局のところ儒学者達も掌を返し、大院君の鎖国政策を評価する形で有力儒学者の奇正鎮、柳麟錫も大院君を多いに支持し、老論派系も同じ手を取って、開国政策を批評して大院君側に回った。大院君の敵対勢力を簡単に説明すると、閔妃派は後に事大派となり、保守的で清国の制度を再編入及び宗主国として再認し、清が頼りにならないと知ると事大先をロシアに鞍替えした。さらにこの後、福沢諭吉邸で決起した金玉均・朴泳孝・金弘集[要曖昧さ回避]らを中心とした開化派がある。開化派は親日的で日本とつながることで脅威となる。
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