人生論とは? わかりやすく解説

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人生論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 06:34 UTC 版)

李洙正」の記事における「人生論」の解説

1970年代後半濟州島旅行契機には、人生に対する哲学的関心具体化していく。その結果物が1980年代90年代思惟経て2014年発表された人生構造』である。この本では、「5W1H」の原則に法って、「人生」という大いなる哲学的主題挑む。「生の主体—我々は誰として生きるのか」、「生の時間—我々は何時生きるのか」、「生の場所—我々は何処生きるのか」、「生の内容—我々は何をして生きるのか」、「生の性格—我々はどんな人生生きるのか」、「生の理由—我々は何故生きるのか」。多少図式的な感じ与えるが、それは、が「新し哲学-常識哲学-親近哲学-易し哲学-接近可能な哲学-親切な哲学-ソフトな哲学-愛の哲学-暖かい哲学-優し哲学-文化としての哲学」を志向するからである。しかし、このようなソフトな形式反面には、「総合哲学-第一哲学-究極哲学としての哲学的人生論」ないし「人生現象学」を樹立しようとする学問的志向構えている。ここで言及しているのは、言語論(「精神的大気-教養大気-人文大気としての質的言語」の提供)、意味論(生の動力としての意味)と、「世界論」(“「世界」とは、我々人間たち誕生と共にその中投げ込まれる、そこで育ち、そこで成熟し様々な現実的人間関係利害関係の中で熾烈競争しながら、勝ち、負け奪い奪われ成し逃しそんな中様々な喜怒哀楽経験しながら、生きてはやがてそこから去っていくことになる、生老病死現場或は舞台索漠殺伐とした所、しかし時にはその何処よりも暖かく美しくなりうる所、家庭学校職場国家構えている所、友と敵とが一緒にいる所、素晴らし自然と汚いごみの山一緒にある所、面白くて下らない所、あちこちにあれこれの幸福が宝のように散らかっており、またあれこれの不幸が地雷のように埋まっている所、なのであるまさしくそういう所が、我々がその中で生きている真の意味での「世界」、「世」なるものである。”)である。

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人生論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 08:31 UTC 版)

東浩紀」の記事における「人生論」の解説

東浩紀は、『弱いつながり』の序文にあたる「はじめに」において、次のように説いている。 ぼくたちは環境規定されています。かけがえのない個人」などというものは存在しません。ぼくたちが考えること思いつくこと、欲望することは、たいてい環境から予測可能なことでしかない。あなたは、あなたの環境から予測されるパラメータ集合でしかない。……しかしそれでも、多くのひとは、たったいちどの人生を、かけがえのないものとして生きたい願っているはずです。……ここにこそ、人間苦しめ大きな矛盾あります。……それは哲学的に言えば主観」と「客観」……の違いということになりますが、……みないちどは感じたことがある矛盾ではないかと思います。その矛盾乗り越える……有効な方法は、ただひとつ。……環境意図的に変えることです。 — 東浩紀、『弱いつながり』、幻冬舎2014年「はじめに」、9~11頁 東は、『弱いつながり』において、「観光客という概念提出し、「観光客」という生き方提案する人間は、環境産物に過ぎないGoogleが、その人物の過去検索履歴閲覧履歴から思考や行動を予測しているように、その人物の人生環境から予測可能であり、その上、その環境閉じ籠もっている限りその人物は、その環境規定から外れた人生移行することができない。そこで、東は、「観光客」として旅に出ることで環境意図的に変え、「非日常」たる観光のなか、自分が「村人」として暮らしている「日常」では得ることのできないノイズ晒され新し検索ワードを得ることを説く。「観光客」になることによって、自分自分の属する場所の「村人であることを忘れないながらに、しかし「村人であることから一時的に自由になることができる。「観光客」は「旅人」でもない。ある一箇所に留まる「村人」と、留まることなく移動する「旅人」と、その二つの間を「無責任に往復する人間を、東は「観光客」と定義する。そして、その旅にも決し過剰な期待はせず、あくまでも偶然性身を委ねることを説く東浩紀哲学先述のように二元論基礎としている。『存在論的、郵便的』では「郵便空間」と「誤配」の概念二つ超越論性について説かれ、『動物化するポストモダン』では二つ原理にかかわる動物化」について説かれ、『一般意志2.0』では「人間的公共性」と「動物的公共性」について説かれた。人生論と明記された『弱いつながり』では、東が旅先で思索した人間について考察を軸に話を進めながら、「記号」と「記号ならないもの」、「言葉」と「モノ」、「必然性」と「偶然性」、「強い絆計画性世界」と「弱い絆は偶然性世界等々二項対立書き出されていき、その間移動する存在として「観光客」が説かれる。その要所要所では、先行する著書説かれ哲学問題意識とのかかわり説明している。東は「弱さ」や「偶然性」の大切さ確認した上で偶然性に身を曝せ」と書いている。記号のみによって作られているインターネットへの接続維持したまま、観光旅行という形で一定以上の時間をかけて体を移動させ、記号ならないものに触れよう、という『弱いつながり』の内容は、そのため行動について述べているものであるまた、ある親からある子が生まれ偶然性について語り人生基礎にある偶然と、弱い絆としての親子関係について述べられている。 『弱いつながり』の思想について、紀伊國屋じんぶん大賞受賞時の次のようなコメント発表している。 本書でぼくが訴えたかったのは、ひとことで言えば、「哲学とは一種の観光である」ということです。観光客無責任にさまざまなところに出かけます。好奇心導かれ生半可な知識手に入れ好き勝手なことを言って去っていきます哲学者そのような観光客に似てます。哲学専門知ありません哲学はどのジャンルにも属しません。それは、さまざまな専門をもつ人々に対して常識外視点からぎょっとするような視点一瞬なげかけるそのような不思議な営みです。ソクラテスの対話編には、哲学のそんな本質がすでに明確に刻まれています。……(中略)…… 哲学役に立つものではありません哲学はなにも答え与えてくれません。哲学は、みなさん人生を少しも豊かにしてくれないし、この社会も少しもよくはしてくれない。そうではなく哲学は、答え追い求める日常から、ぼくたちを少しだけ自由にしてくれるものなのです観光の旅がそうであるように。 — 東浩紀紀伊國屋じんぶん大賞2015受賞コメント

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