陸大卒業者のその後
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陸大卒業者は、それまでの序列とは関係なく、陸士同期生の最右翼(序列トップ)に置かれた。陸士同期生の中で陸大卒業期は6‐7期にわたるが、陸大卒業者の中の序列については、陸大卒業成績の上下が、陸大卒業期の先後に優先した。 天保銭組は陸士卒業が前の期の無天組を次々に追い抜いて進級し、中央三官衙の幕僚を占めた。 しかし、陸大首席が佐官止まり(24期首席:陸軍省軍務局騎兵課長・騎兵大佐で予備役、25期首席:歩兵第61連隊附・歩兵中佐で予備役)という事例もある。陸軍人事に陸大卒業成績が反映されるのは、陸大を卒業してから10年間とするという内規があったとされる。大尉の時に陸大を卒業したとして、大佐進級までは陸大卒業席次が大きく影響するが、そこから先、特に大佐から少将への進級には、上下の評価ならびに本人の実績が影響した。 藤井非三四は、陸大18期(1907年(明治39年)卒業)から陸大25期(1913年(大正2年)卒業)までの、陸大卒業者372人(陸大を途中で退校した50人を含まず)について調査して、 大将6%、中将38%、少将34%、計78%が将官となっており、多くが中佐で予備役に編入される無天組とは、進級速度と最終階級の両面で大差があったのは事実。 将官になれなかった22%(80人強)のうち、恩賜組が11人(うち首席が3人)いた。 少将まで進んだ34%のうち、ほぼ半数は、少将に進級した直後に待命・予備役となる「名誉少将」であった。 と述べている。 山口宗之は、帝国陸軍の陸軍大将134名(皇族8名を含む)のうち、陸軍の将校養成制度が確立した陸士1期以降の66名(皇族を含まず)について調査して、 陸大卒業、またはそれと同等に扱われる資格を持たない大将は、鈴木孝雄の1名のみ。 大将に親任されるか否かに、幼年学校と陸士の卒業成績は影響なし。 総合的に見て、大将に親任されるか否かを、陸大卒業成績が左右したとは認めがたい。 と述べている。 額田坦は、ある者が少将に進級した段階で、その者が中将に進めるか否かは概ね予想できたとする。しかし、その者が大将に親任されるか否かについては下記のように述べている。 大将親任の予想は中将進級の際には稀有の人を除き、できなかった — 額田坦、
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