軍務局とは? わかりやすく解説

軍務局

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/03 00:01 UTC 版)

軍務局(ぐんむきょく)は、日本陸軍省海軍省に設置されていた軍政担当部局。


  1. ^ 北岡伸一『政党から軍部へ』
  2. ^ a b 『官報』第2765号、昭和11年3月24日。
  3. ^ 岡敬純は1944年7月18日に海軍中将・海軍次官に任じられたために後任決定まで軍務局長の事務取扱を行っていたものの、直後に東条内閣総辞職によって海軍次官更迭が決定され、前次官のまま事務取扱を行っている。


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軍務局

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 06:58 UTC 版)

海軍省」の記事における「軍務局」の解説

詳細は「軍務局#海軍省軍務局」を参照 軍備国防服務条約礼式など海軍にかかわるあらゆる制度分掌する歴代軍務局長 軍務局長 (兼)樺山資紀中将1886年1月29日 - 井上良馨少将1886年6月17日 - 1889年3月7日 第1局長 井上良馨少将1889年3月8日 - 伊東祐亨少将1889年3月8日 - 1893年5月20日 軍務局長 (兼)伊藤雋吉中将1893年5月20日 - 山本権兵衛少将1895年3月8日 - 1898年11月9日 諸岡頼之少将1898年11月10日 - (兼)斎藤実少将1900年5月20日 - 上村彦之丞少将1900年10月25日 - 出羽重遠少将1902年10月29日 - 中溝徳太郎少将1903年10月27日 - (兼)斎藤実少将1904年2月3日 - 加藤友三郎少将1905年12月19日 - (扱)加藤友三郎少将1906年1月8日 - 武富邦鼎少将1906年11月22日 - 中溝徳太郎中将1908年5月15日 - 1909年12月1日 栃内曽次郎少将1909年12月1日 - 江頭安太郎少将1912年4月20日 - 野間口兼雄少将1913年1月10日 - 秋山真之少将1914年4月17日 - (兼)鈴木貫太郎少将1916年2月21日 - 小栗孝三郎少将1916年6月23日 - 井出謙治少将1916年12月1日 - 堀内三郎中将1920年8月16日 - 大角岑生少将1922年5月1日 - 小林躋造少将1923年12月1日 - 左近司政三少将1927年3月25日 - 堀悌吉少将1929年9月6日 - 豊田貞次郎少将1931年11月2日 - 寺島健少将1932年5月12日 - 吉田善吾少将1933年9月15日 - 豊田副武中将1935年12月2日 - 井上成美少将1937年10月20日 - 阿部勝雄少将1939年10月18日 - 岡敬純少将1940年10月15日 - (扱)岡敬純中将1944年7月18日 - 多田武雄中将1944年8月1日 - 保科善四郎中将1945年5月15日 - 山本善雄少将1945年11月17日 - 11月30日

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軍務局

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陸軍省」の記事における「軍務局」の解説

詳細は「軍務局#陸軍省軍務局」を参照 1890年明治23年3月設置され1945年昭和20年12月陸軍省廃止まで存続した。主たる所掌事務国防政策陸軍建制編制計画動員計画予算に関する事項軍需行政国家総動員体制多岐にわたり陸軍に関する行政いわゆる軍政は主にこの局から発せられた。明治5年2月兵部省陸海軍省と分割した際にも軍務局はあったが、その時は主に歩兵騎兵兵科に関する事項取り扱っていた。明治6年4月第2局改め明治12年10月には人員局と改称された。この頃専ら後の人事局掌る事務行っており、1890年明治23年3月設置された軍務局との連続性はない。明治5年2月秘史局とその後身である1873年明治6年4月第一局は所掌事務が「通報軍務関係」でそれを引き継いだ明治12年10月総務局が本来の前身で、総務局創設時所掌事務は「庶務徴兵・制規」だった。然し1890年明治23年3月官制改正まで陸軍省では各兵科別に事務執り行っていたが、それらを全て廃し事務は軍務局が掌ったため所掌事務の上ではどの局とも連続していない。 軍務局は帝国議会との折衝行っていたが、1938年昭和13年3月3日当時の軍務局軍務国内班長佐藤賢了中佐野次対し黙れ!」と一喝した「黙れ事件」がある。これは時の陸軍大臣杉山元大将謝罪することで決着するが、佐藤中佐は後に中将進級し軍務局長就任する戦後連合国側からA級戦犯指名されるが、これは先の黙れ事件原因一つという。 1890年明治23年3月27日 軍務局創設第1軍事課・第2軍事課・馬政課・獣医課・砲兵事務創設工兵局を工兵事務課として編入 1896年明治29年5月9日 工兵事務課を工兵課に、砲兵事務課を砲兵課に改称 1897年明治30年9月3日 兵器課を新設、馬政課を騎兵課に、第1軍事課を軍事課に、第2軍事課を歩兵課に改称 1900年明治33年5月 兵器課を廃止 1903年明治36年5月1日 獣医廃止 1919年大正8年4月12日 航空創設 1926年大正15年10月1日 兵務課・兵備課・徴募課・防備創設航空課・歩兵課・工兵課・砲兵課を廃止騎兵課を馬政課に改称 1936年昭和11年8月1日 軍務課を創設兵務課・兵備課・防備課・馬政課を兵務局移行徴募課を人事局移行 1945年昭和20年4月28日 整備局より戦備移行 歴代軍務局長(※氏名前の括弧夫々(心)は心得、(扱)は事務取扱、(兼)は兼職を表す。) (兼)桂太郎明治23年3月27日陸軍次官) (兼)岡沢精明治24年6月1日陸軍次官) (兼)児玉源太郎明治25年8月23日陸軍次官) (兼)中村雄次郎明治31年1月14日陸軍次官木越安綱明治33年4月25日 (兼)中村雄次郎明治34年2月18日陸軍総務長官宇佐川一正明治35年4月17日 長岡外史明治41年12月28日 岡市之助明治43年6月1日 田中義一明治44年9月1日 柴勝三郎大正元年12月26日 山田隆一大正4年6月4日 奈良武次大正5年3月31日 菅野尚一大正7年12月17日 畑英太郎大正11年2月8日 阿部信行大正15年7月28日 杉山元昭和3年8月10日 小磯國昭昭和5年8月1日 山岡重厚昭和7年2月29日 永田鉄山昭和9年3月5日 - 昭和10年8月12日在職中死去相沢事件参照今井清昭和10年8月13日 - 1936年3月23日 磯谷廉介昭和11年3月23日 後宮淳昭和12年3月1日 町尻量基昭和12年10月5日 中村明人昭和13年4月14日 町尻量基昭和13年11月21日 (扱)山脇正隆昭和13年12月29日陸軍次官町尻量基昭和14年1月31日 武藤章昭和14年9月30日 佐藤賢了昭和17年4月20日 真田穣一郎昭和19年12月14日 吉積正雄昭和20年3月27日

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