軍務忌避事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/09 03:17 UTC 版)
カエソ・ファビウスが執政官であった紀元前481年、ウェイイ人とアエクィ人はローマの領土で略奪を働き、ローマを攻撃する気配を見せた。これを受けてローマでは戦争準備が始まったが、執政官に反感を持つ平民たちは軍務忌避という手段をとった。これは護民官スプリウス・リキニウスの主導によるものだったが、彼はやがて同僚護民官からも軍務忌避はやりすぎだと非難されるようになり、徴兵が行われた。だが実際に戦争が始まると、戦闘自体はカエソ・ファビウスの巧みな指揮で勝利を収めることができたが、兵士達はその後の追撃を拒否し、指揮官を呪う言葉を吐きながら勝手に退却をしてしまう。これは無視できない重大な軍規違反であったが、対処はなにも行われず、戦果も大きかったが、平民の執政官に対する憎悪もまた大きかった。
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