軍務所成立と政府軍への降伏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/21 02:56 UTC 版)
「藁谷英孝」の記事における「軍務所成立と政府軍への降伏」の解説
藁谷が鹿児島の政府軍征討先鋒本部への帰順願いにより留守にしている間、西郷軍日向参軍となった鮫島元と横山直右衛門らにより宮崎支庁が占拠され、宮崎に入った桐野利秋が宮崎支庁に西郷軍本営を置き、宮崎支庁は軍務所と改名される。さらに桐野や西郷軍日向参軍坂田諸潔より、非協力な者を軍法にかけるとの圧力があったために藁谷は引き続き西郷軍に資金面や募兵で協力することとなる。 こうした経緯もあり、7月31日に西郷軍の敗北で宮崎が政府軍に占領されると、藁谷は宮崎支庁を開き、長民や味膳ら延岡隊の主要人物より一足早く政府軍に投降する。なお延岡に本営を置いた野村忍介率いる西郷軍奇兵隊が政府軍の大分県からの進軍を持ちこたえた為に降伏が遅れた延岡隊の主要人物も延岡が政府軍に陥落した8月14日までに降伏した。
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