軍勢の規模
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 23:22 UTC 版)
大異教軍の規模については、歴史家によって意見が分かれている。ピート・ソーヤー(英語版)らは、伝統的に考えられているよりも実際の規模は小さかったと考えている。ソーヤーは、アングロサクソン年代記865年の項の「異教軍」(ヘーベン・ヘーレ 古英語: hæþen here)という記述に着目した。694年ごろのウェセックス王イネの成文法によれば、ヘーレ(here (/ˈheːre/))という語は「35人以上の、侵略または略奪のための軍団」を意味している。アングロサクソン人の軍団に対してはフュルド(英語版)(fyrd)という語が用いられるため、ヴァイキングについて意図的に「ヘーレ」として区別していることがわかる。アングロサクソン年代記の筆者は、ヴァイキング軍を基本的にヘーレと呼んでいる。歴史家リチャード・アーベルは、この差異はヴァイキングの戦士団と、イングランドの王冠領で編成される軍隊という制度上の違いを示していると述べているが、10世紀後半から11世紀後半には、「ヘーレ」は後者のような場合でも、ヴァイキングであるか否かにかかわらず用いられている。ソーヤーはアングロサクソン年代記に記されたヴァイキングの襲撃を調べ、1隻のロングシップに乗れる戦士は32人以下であることから、大異教軍の規模は1000人に満たないとした。 その他の学者たちは、ソーヤーより大異教軍の規模を大きく見積もっている。ローラント・マゼット・ハーホフは、セーヌ川流域へのヴァイキング襲撃は数千人規模であったことを指摘している。ただし、彼はそれだけの大規模なヴァイキング軍を維持できる基盤がいまだ不明であることを認めている。 ガイ・ハルソール(英語版)は、1990年代に何人かの歴史家たちが大異教軍の規模を数千人と見積もっていたことを紹介したうえで、この試算にはまだ議論の余地があると述べている。
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