ヘイスティングズのノルマン軍勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 11:01 UTC 版)
「ヘイスティングズの戦い」の記事における「ヘイスティングズのノルマン軍勢」の解説
ギヨームの軍勢の正確な数や構成は不明である。同時代の文書はギヨームが776隻の船舶を有していたと主張するが、おそらくは大袈裟な表現であろう。軍の規模に関する同時代の著者による数字は大いに誇張されており、1万4000名から15万人まで様々である。近代の歴史家はギヨームの軍勢の規模について、「7,000から8,000名の兵でその中の1,000から2,000名が騎兵」「1万から1万2000名の兵」「1万の兵でその中の3,000名が騎兵」「7,500名の兵」といった、幅のある見積もりを示している。軍は騎馬部隊、歩兵部隊、弓兵や弩(クロスボウ)兵部隊で構成され、騎兵と弓兵とがおおよそ同数であり、徒歩の兵が他の2種を併せたものと同数であった。ウィリアム征服王(ギヨーム)の仲間に関する後世の一覧が存在するものの、その大半は追加の名前で水増しされている。およそ35名の固有名の個人のみが、ギヨームとともにヘイスティングズにいたと確かに認めうるものである。 用いられた主な防着は長身の鎖帷子で、通常は膝に至る長さがあり乗馬できるように切り込みが設けられ、一部は肘に至る長さの袖つきであった。一部の帷子(英語版)は、おそらく長衣に金属や角や硬化させた皮でできた札を貼りつけて作られていた。被り物は通常は円錐形の金属兜で、鼻を護るための金属帯が下部に伸びていた。騎兵と歩兵は楯を携えていた。歩兵の楯は通常は円形の木製であり、金属の補強が施されていた。騎兵は凧型の楯に持ち替え、通常は槍を装備した。右腕の下で身体に引きつけて携える横構えの槍は比較的新しい改良であり、長距離の騎兵突撃には不向きな地勢であったヘイスティングズではおそらく用いられなかった。歩兵と騎兵の双方とも通常、長身で両刃を備えた直刀の剣をもって戦った。歩兵はまた投げ槍や長槍を用いることもできた。騎兵の一部はおそらく剣の代わりに棍棒を用いた。弓兵は単弓(英語版)やクロスボウを用い、大半は防着を身につけることはなかった。
※この「ヘイスティングズのノルマン軍勢」の解説は、「ヘイスティングズの戦い」の解説の一部です。
「ヘイスティングズのノルマン軍勢」を含む「ヘイスティングズの戦い」の記事については、「ヘイスティングズの戦い」の概要を参照ください。
- ヘイスティングズのノルマン軍勢のページへのリンク