きりの‐としあき【桐野利秋】
桐野利秋
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桐野 利秋(きりの としあき、天保9年12月2日[2](1839年1月16日) - 明治10年(1877年)9月24日)は、日本の武士(薩摩藩士)、陸軍軍人。諱は利秋、通称は半次郎、桐野に復姓後は信作(晋作、新作)。初め中村 半次郎(なかむら はんじろう)と称した。
注釈
出典
- ^ a b 鹿児島県の地名 p.180
- ^ a b 鹿児島市議会平成23年第4回定例会会議録
- ^ a b 雑誌・戸籍時報202-18、吉田和夫著『桐野利秋と調所笑左衛門の戸籍から』
- ^ 『少年読本第十一編 桐野利秋』8-9頁
- ^ 国立国会図書館憲政資料室所蔵 三条家文書・諸氏履歴資料『桐野利秋略伝』
- ^ 『少年読本第十一編 桐野利秋』1-8頁
- ^ 『少年読本第十一編 桐野利秋』47頁
- ^ 『少年読本第十一編 桐野利秋』46-48頁、63-64頁
- ^ 『少年読本第十一編 桐野利秋』48-66頁
- ^ 鹿児島県維新史料編さん所『鹿児島県史料 忠義公史料 第三巻』鹿児島県、1976年、622-623頁。
- ^ 『少年読本第十一編 桐野利秋』51-55頁
- ^ 坂本龍馬関係文書/三吉慎蔵日記
- ^ 坂本龍馬関係文書/藤陰略話
- ^ 土方久元『回天実記』、中岡慎太郎『行行筆記』
- ^ 『防長回天史』、山縣有朋『葉桜日記』
- ^ 勝海舟全集刊行会『勝海舟全集1 幕末日記』講談社、1976年、295-296頁。
- ^ 伊藤政夫編『野太刀自顕流-薬丸流-』
- ^ 栗原智久『史伝 桐野利秋』
- ^ 藤田福夫「八田知紀の「白雲日記」(解説・翻刻)」『椙山国文学』第10号、1986年、32頁、CRID 1050001202953417088、ISSN 0385-9614。
- ^ a b c d e f 内閣修史局『百官履歴 上巻』日本史籍協会、1928年、405-406頁。
- ^ アーネスト・サトウ著、坂田精一訳『一外交官の見た明治維新 下巻』岩波書店、1960年、221-222頁。
- ^ 『少年読本第十一編 桐野利秋』71-72頁
- ^ 佐多武彦著『回顧六十年』1937年、鹿児島県立図書館所蔵
- ^ 立教大学文学部『大久保利通関係文書 二巻』吉川弘文館、1966年、414-415頁。
- ^ (樺山愛輔『父、樺山資紀』)
- ^ 国立国会図書館 憲政資料室 樺山資紀関係文書(その1) 台湾手記・明治5年7月25日〜明治6年9月23日
- ^ アジア歴史資料センター Ref:C08010381700 陸軍省日誌第23号壬申8月27日条
- ^ 『大西郷突囲戦史』に依る[注釈 3]。
- ^ 『西南記伝』[注釈 4]
- ^ 『氷川清話』
- ^ 『早稲田清話』
- ^ 『回天実記』
- ^ a b 『日本人及日本 南洲号』
- ^ a b 『史談会速記録』
- ^ 『少年読本第十一編 桐野利秋』152-161頁
- ^ 『日本及日本人』明治43年9月増刊号・肝付兼行談『暴れ者統御の名人』
- ^ a b c 『丁丑擾乱記』
- ^ 『少年読本第十一編 桐野利秋』44-45頁
- ^ 『少年読本第十一編 桐野利秋』171頁
- ^ 『歴史読本』 子孫が語る幕末維新人物100・維新の志士・西南の役に散った薩摩っぽの軍人 桐野利秋
- ^ 大河ロマン映画「半次郎」
桐野利秋
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陸軍少将。幕末期、常に西郷の側にあって「人斬り半次郎」と恐れられていたが、維新後は薩摩城下士出身者が占める近衛兵のリーダー的存在となる。西郷を神仏のように崇拝し、西郷の説に反する者はいかなる理由があってもこれを許さないとしている。このため大久保・川路を敵視し、西郷下野の際は真っ先にこれにつき従った。その後郷里の吉野郷で開墾に従事するが、私学校党の暴発をおさえられず、遂に西郷軍のナンバー2として挙兵に加わる。しかし桐野の戦略なき行軍は、西郷軍に悲惨な末路を呼ぶこととなる。テロリストとしての一面も携えながら、薩摩人らしい颯爽とした人格も併せ持つ人物として描かれる。
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