しょうこ‐しゅうせいかん〔シヤウコシフセイクワン〕【尚古集成館】
尚古集成館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/11 17:41 UTC 版)
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![]() 尚古集成館 | |
施設情報 | |
専門分野 |
島津氏に関する資料 薩摩切子 薩摩焼 |
管理運営 | 島津興業 |
開館 | 1865年 |
所在地 |
〒892-0871 鹿児島県鹿児島市吉野町9698-1 |
位置 | 北緯31度37分2.3秒 東経130度34分34.5秒 / 北緯31.617306度 東経130.576250度座標: 北緯31度37分2.3秒 東経130度34分34.5秒 / 北緯31.617306度 東経130.576250度 |
アクセス | カゴシマシティビュー「仙巌園前(磯庭園前)」バス停より徒歩約1分 |
外部リンク | 公式サイト |
プロジェクト:GLAM |
尚古集成館(しょうこしゅうせいかん)は、鹿児島県鹿児島市吉野町にある博物館。幕末の島津斉彬による集成館事業を顕彰するため、1923年(大正12年)5月22日に開館した[1]。
2015年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」を構成する「旧集成館」の機械工場として世界遺産に登録されている。
概要
薩摩藩第28代当主島津斉彬によって始められた集成館が1915年(大正4年)に廃止された後、機械工場の建物を活用する形で1923年に開館した[2]。
現在は島津興業によって運営され、島津家に関する史料や薩摩切子、薩摩焼などを展示する。本館は1865年に建てられたもので、国の重要文化財である。仙巌園に隣接する。日本で初めてアーチを採用した石造洋風建築物。 1958年(昭和33年)には昭和天皇、香淳皇后の行幸啓があり、会長であった島津忠重が展示資料の説明を行った[3]。 1959年(昭和34年)に「集成館」として鹿児島紡績所とともに国の史跡に指定され、1962年(昭和37年)に現存する尚古集成館は異人館とともに国の重要文化財に指定された[2]。
沿革
- 1865年 機械工場として集成館が竣工。
- 1959年2月25日 敷地が国の史跡に指定される(「史跡 旧集成館」)。
- 1962年6月21日 建物が重要文化財に指定される(「重要文化財 旧集成館機械工場」)。
- 1990年3月29日 別館が開館。
- 2005年10月8日 尚古集成館本館を改修し、新装開館。
展示室
本館
大きく3つの展示ブロックに分け、反射炉の模型など、集成館事業に関わるものを常設展示する。
別館
企画展示を主に行っている。
重要文化財
(株式会社島津興業所有)
- 集成館機械工場(1962年指定)
- 文禄三年島津氏分国太閤検地尺 石田三成署判(1980年指定)
- 木村嘉平関係資料(1998年指定)
- 活字類 8,283点
- 印刷器具類 52点
- 蘭文英文典 1冊
- 銀板写真(島津斉彬像)(1999年指定)
- 形削盤(1863年オランダ製)(2000年指定)
- 犬追物関係資料(島津家伝来) 665点 - 2017年度指定[4][5]。
- 典籍・文書類 610点
- 装束・弓馬具類 44点
- 写真ガラス原板 11点
以下の重要文化財は鶴嶺神社所有品
脚注
- ^ 小島摩文「鹿児島県人の進取の気性」『想林』第4巻、鹿児島純心女子短期大学江角学びの交流センター地域人間科学研究所、2013年、67-78頁。
- ^ a b 土田充義、水田丞、藤田智子、弘田礼子「第三期「集成館」における建築学的研究」『鹿児島大学工学部研究報告』第44巻、鹿児島大学、2002年11月、77-82頁。
- ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十二』東京書籍、2017年3月28日、456頁。ISBN 978-4-487-74412-1。
- ^ 平成29年9月15日文部科学省告示第117号
- ^ 国宝・重要文化財の指定について(文化庁サイト)
関連項目
外部リンク
尚古集成館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 13:55 UTC 版)
薩英戦争後に集成館事業で建てられた日本初の洋式石造建築物。現在は当時の殖産興業の数々と島津氏800年の展示資料がある。明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業の構成資産の一部である。
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