小菅修船場跡とは? わかりやすく解説

小菅修船場跡

名称: 小菅修船場跡
ふりがな こすげしゅうせんばあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 長崎県
市区町村 長崎市小菅町
管理団体
指定年月日 1969.04.12(昭和44.04.12)
指定基準 史6
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S43-6-091[[小菅修船場]こすげしゅうせんば]跡.txt: 船架創設慶応3年5代才助(のちの友厚)を中心として進められ事業で、貿易商小松帯刀イギリス商人トーマス・ブレーク・グラバー出資者となった
 明治元年12月6日竣工、このとき小菅修船場と称された。曳揚機械ボイラー等スリップドック一切施設は、イギリスから入れ、曳揚小屋外壁の[[蒟蒻練瓦]こんにゃくれんが]は、オランダ人から習得した製法である。
 政府は、明治2年3月2日、この修船場をグラバーから買収し官営としたが、のち官営工場払下げ方針従い明治20年6月7日長崎造船場の本工場・土地・建物機械器具一切三菱払い下げた。これが現在の三菱重工業株式会社長崎造船所のおこりである。
 小菅修船場は、入江利用のスリップドックで500トン前後の船を曳揚げ修理行なった。現在、残っているものは、曳揚小屋、曳揚機械軌道石垣などあり、また両岸天草石石垣多く当初のままであるなど、わが国最初洋式船架として貴重なのである
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小菅修船場跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/24 14:06 UTC 版)

煉瓦造りの機械室
船台式ドック
小菅修船場跡

小菅修船場跡(こすげしゅうせんばあと)は、長崎県長崎市小菅町にある国の史跡船台式ドック、煉瓦造りの機械室、英国製巻上げ機などがらなる。遺構の外見からソロバンドックの名で親しまれている。

概要

1868年(明治元年)12月に完成した日本初の西洋式ドックである。薩摩藩小松清廉五代友厚トーマス・グラバーらが計画して造られた。翌年、明治政府が買収し、長崎製鉄所の付属施設となる。所長は平野富二1884年(明治17年)、三菱所有となり、現在の三菱重工業長崎造船所の礎となる。

1969年(昭和44年)に国の史跡に指定。2009年(平成21年)1月、「九州・山口の近代化産業遺産群」の一つとして世界遺産暫定リストに追加掲載され、2015年に「明治日本の産業革命遺産_製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産として世界遺産に登録された。

ドック入りの方法

現在主流の乾ドックとはドック入りの手順がちがう。

  1. まず入り江の浅瀬から陸上まで敷いた軌条に乗せた船台を浅瀬内(海面下)へ移動させる。
  2. 修理したい船舶入り江まで回航し、海中の船台にのせる。
  3. 陸上の巻き上げ機につながったロープを船舶に接続し、陸上まで引き揚げる。

こうして修理をおこなったあと、逆の手順で進水させるものであった。

アクセス

関連項目

外部リンク

座標: 北緯32度43分36.6秒 東経129度51分44.9秒 / 北緯32.726833度 東経129.862472度 / 32.726833; 129.862472




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