かわむら‐すみよし〔かはむら‐〕【川村純義】
川村純義 かわむら すみよし
鹿児島生まれ。海軍軍人。薩摩藩士として戊辰戦争時は陸戦で功を立てる。明治5年(1872)海軍省設立にあたり海軍大輔となる。11年(1878)参議・第2代海軍卿に就任。一時榎本武揚に交替したときを除き18年(1885)まで職にとどまり、その間に薩摩勢力を海軍内に伸ばした。17年(1884)伯爵。のち宮中顧問官、枢密顧問官を歴任し、34年(1901)に昭和天皇の養育主任となる。37年(1904)、死去にあたり大将に任じられているが、これは他に類例がない。
キーワード | 海軍軍人 |
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川村純義
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川村 純義(かわむら すみよし、天保7年11月11日〈1836年12月18日〉 - 1904年〈明治37年〉8月12日)は、日本の海軍軍人[2]。海軍大将従一位勲一等伯爵。鹿児島県出身。通称は与十郎。
- ^ 川村純義 - 鹿児島デジタルミュージアム(鹿児島市)、2020年(令和2年)11月5日閲覧。
- ^ 百科事典マイペディア「川村純義」
- ^ 正五位下相当。後の海軍次官に相当する。
- ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、586頁。ISBN 978-4-06-288001-5。
- ^ 『官報』第1134号「叙任及辞令」1887年(明治20年)4月14日。
- ^ 『官報』第6337号「叙任及辞令」1904年(明治37年)8月13日。
- ^ 中野文庫 - 旧・勲一等旭日大綬章受章者一覧(戦前の部) [リンク切れ]、2020年(令和2年)11月5日閲覧。
- ^ 『官報』第307号「叙任及辞令」1884年(明治17年)7月8日。
- ^ 『官報』第1928号「叙任及辞令」1889年(明治22年)11月30日。
- ^ 『官報』第6148号「叙任及辞令」1903年(明治36年)12月28日。
- ^ a b c 川村春子 - 歴史が眠る多磨霊園、2020年(令和2年)11月5日閲覧。
- ^ 白洲次郎家系図 近現代・系図ワールド - 2020年(令和2年)11月5日閲覧。
- ^ Tokyo American Club, Image Gallery, 写真4 [リンク切れ]、2020年(令和2年)11月5日閲覧。
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