仁礼景範 にれ かげのり
鹿児島生れ。海軍軍人。父は鹿児島藩士。慶応3年(1867)に藩命でアメリカに留学。明治5年(1872)海軍に出仕し、少佐。海軍兵学校長、東海鎮守府長官、中艦隊司令官を経て、17年(1884)には新設の海軍省軍事部部長となる。18年(1885)中将。19年(1886)より参謀本部次長、海軍参謀本部長、横須賀鎮守府長官、海軍大学校長を歴任。25年(1892)第2次伊藤内閣の海相となり、海軍の軍備の充実に力を注いだ。26年(1893)枢密顧問官。
キーワード | 海軍軍人 |
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仁礼景範
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仁礼 景範(旧字体: 仁禮 景範、にれ かげのり、1831年4月6日(天保2年2月24日) - 1900年(明治33年)11月22日)は、日本の武士、海軍軍人。最終階級は海軍中将。栄典は従二位勲一等子爵。通称は源之丞、平助。
- ^ 仁礼景範とは - コトバンク
- ^ 『官報』第701号「叙任」1885年10月30日。
- ^ 『官報』第994号「叙任及辞令」1886年10月21日。
- ^ 『官報』第2776号「叙任及辞令」1892年9月27日。
- ^ 『官報』第4349号「叙任及辞令」1897年12月28日。
- ^ a b 「陸軍少将黒川通軌外六名勲二等ニ進叙」 アジア歴史資料センター Ref.A15110025500
- ^ 『官報』第307号「叙任及辞令」1884年7月8日。
- ^ 『官報』第1928号「叙任及辞令」1889年11月30日。
- ^ 『官報』第3000号「叙任及辞令」1893年6月30日。
- ^ 斎藤實記念館建設委員会 『斎藤實夫妻を偲ぶ』 1975年
- ^ アジア歴史資料センター「第98号 明治37年5月15日旅順港外遭難の際に於る軍艦初瀬戦死者人名表」(ref:C05110010000)
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