仁田竹一とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 仁田竹一の意味・解説 

仁田竹一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/05 21:48 UTC 版)

仁田 竹一(にた[1] / にだ[2] / にった[3][4] たけいち、1894年明治27年)2月4日[1] - 1976年昭和51年)6月14日[2])は、大正から昭和期の実業家政治家参議院議員(1期)、広島県佐伯郡大柿町長。

経歴

広島県[2]佐伯郡深江村[1]大柿町を経て現江田島市)で仁田笹松の二男として生まれ、仁田久米次の養子となる[5][注釈 1]。1912年(明治45年)広島県立呉中学校(現広島県立呉三津田高等学校)を卒業した[1][2]

呉商工会議所副会頭、呉第一銀行頭取、江田島汽船社長、瀬戸内海汽船社長、広島緑地建設社長、広島湾海運会長、因島運輸社長、ラジオ中国取締役、全日本観光連盟中国支部長、広島県観光連盟会長、日本経営者団体連盟(現日本経済団体連合会)常任理事、中国ヨット連盟会長、中国操艇協会会長などを務めた[1][2][5]

政界では、広島県会議員(5期)、同副議長(2期)、大柿町長、広島県教育委員会委員長、広島関税協会副会長などを務めた[1][2][5]。1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙広島県地方区から自由党公認で出馬して当選し[6]、参議院議員に1期在任した[2]

1961年(昭和36年)秋の褒章で海運業に携わり発展に努め関係団体要職に就いて業界振興に寄与したとして藍綬褒章受章[7]

1965年(昭和40年)秋の叙勲で勲三等旭日中綬章受章[8]

1976年(昭和51年)6月14日死去、82歳。死没日をもって勲二等瑞宝章追贈、従四位に叙される[9]

脚注

注釈

  1. ^ 『人事興信録 第17版 下』に5頁では久米次長男。

出典

  1. ^ a b c d e f 『人事興信録 第17版 下』に5頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 – 貴族院・参議院議員名鑑』376頁。
  3. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus. “仁田竹一”. コトバンク. 株式会社DIGITALIO. 2023年2月6日閲覧。
  4. ^ 20世紀日本人名事典 / 新訂 政治家人名事典 明治~昭和. “仁田 竹一”. コトバンク. 株式会社DIGITALIO. 2023年2月6日閲覧。
  5. ^ a b c 『新日本人物大系 上巻』636頁。
  6. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』503頁。
  7. ^ 『官報』第10465号77-80頁 昭和36年11月6日号
  8. ^ 『官報』第11670号15-16頁 昭和40年11月4日号
  9. ^ 『官報』第14840号14頁 昭和51年6月26日号

参考文献

  • 『新日本人物大系 上巻』東方経済学会、1936年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第17版 下』人事興信所、1953年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  仁田竹一のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「仁田竹一」の関連用語

仁田竹一のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



仁田竹一のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの仁田竹一 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS