海老原穆とは? わかりやすく解説

海老原穆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/08 07:40 UTC 版)

海老原 穆(えびはら ぼく、天保元年1月3日1830年1月27日) - 明治34年(1901年)6月)は、日本のジャーナリスト陸軍軍人(陸軍大尉)、武士

概要

薩摩藩出身。父は島津家に仕える海老原宗之進。

明治元年(1868年)、戊辰戦争に薩摩軍の一員として出陣する。

明治4年(1871年)、西郷隆盛と共に上京、陸軍大尉を拝命する。しかし明治6年(1873年)、西郷が明治六年政変で下野したことに呼応して軍職を辞する。

明治8年(1875年)3月、集思社を設立。「評論新聞」を創刊し、大久保利通太政官政府に対する痛烈な批判を展開した。これに対し、言論出版を取締る法令である讒謗律に違反するとして逮捕・収監される。


横浜で没、享年73歳[1]。墓所は青山霊園

関連作品

脚注

  1. ^ [1]




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